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まず自分の「弱い立場」を認めることから始めよ?

先日、映画「関心領域」の試写会に行ってきた。

こんな映画を見に来る人は、ある程度、既に自身の「関心」を広げている人だろうから、自分のキャパを超えて他者のことを思いすぎてしまい、精神のバランスを崩して病んでしまわないか‥と思うが、

とにかくいろいろな人が鑑賞し、話題に出し、皆で一緒に引きずりたい、そして今起きている現実に微力ながら影響を及ぼすといい、そんな映画だった。

自分は間違いなくあの家族だ。自分のテリトリーを清潔に保つことにご執心で、自分の快適さや予定を優先する。海の向こうや塀の向こうで外国人が人としてありえない扱いを受けていても、目の前の仕事や楽しいことに没頭したりしてすぐ忘れてしまう。

だが、夜中に危険を冒してりんごを置きに来る、そういう存在もいる。自分のダメさをある程度自覚した上で、できる限りはそちら側に近づきたい、そう思った。

りんごの置き方はいろいろだ。寄付も、スタンディングも、こうやってSNSで話題に出すことも。

経営者目線を持て!はプロテスト封じの魔法の言葉かも

自分の会社は本当にいい組織なのだけど、たまに経営陣のポジティブさがちょっとだけ気になってしまうことがある。例えば、

「いま日本は暗いけど、文句を言っているばかりでは変わらない」
「愚痴を言う前に、先ず行動しよう」
「文句ばかり垂れるのは、かっこ悪い」

などなど。今の日本には頼むから文句を言わせてくれよ、とおもうが、会社全体として政権批判は簡単だけど...みたいな空気を感じることもある。

まあ、大企業の経営者たちにとっては現与党に働いてもらうほうが、儲かって得なのだから、そこは立場の違いと目をつぶる。

少しずれるかもしれないが、有害なポジティブさ(toxic positivity )という概念は、ライターの竹田ダニエルさんが繰り返しメディアで指摘しているのは言うまでもない。

また、瀧波ユカリさんも、主に女性に対して「怒ること」をいかに封じ込められてきたか、ということを漫画にしている。

いま私はベンチャー企業2社目だが、若手ほどよく「経営者目線をもて」といわれる。特に前職の会社でははよく言われていた。

もっと視野を広く持て、という意味だろうが、当時から私はひねくれていたので「は?給料も経営者並みにしてから言ってくれやw」と思っていた。

しかし同期や、1-2個上の、特に野心とやる気に満ち溢れた若手男子たちは、結構これに共感していたように思う。

現状に文句を垂れるのは三流だ。どうするのか考えてこそ一流だ。という考えは、たしかに職場で文句ばかり言って何もしないこまる人もいるので、一理あると思う。

だが、使用場面は要注意だと思う。

怒らなきゃいけないとき、文句を言わなきゃいけない局面に、これがかえって呪いの言葉と化すことがあるのではないか。

あなたが将来的に経営者になりたくて、目指しているなら別だ。だが、本当に新人みんながこれを持つべきだろうか?

企業に対して、特に疑問を持たぬよう、飼いならすための、魔法の言葉になりうるんじゃないだろうか?

自分が「労働者」であることを認められなかった元カレ


現に、私がお付き合いしていた前職の彼は、付き合い始めたころ、自分が「労働者である」ということに全くピンと来ていないようだった。むしろ、それを指摘すると、ちょっと嫌な顔をされた。

交際中、会社のことについて話しているとき、彼の発言は「ごめんあなた、何ポジ?」と思えるものが多く、わたしはそのたびに「いや、だから私たちは労働者なんだってば」「企業と従業員では、企業の方が強いんだから常に強いほうが悪さしないかを監視していないと」と主張していた気がする。

果てには「この会社に労働組合はないのか?」とか、そういった疑問をぶつけてくる私のことを、煙たがりこそしないがまったく理解できない、という困惑顔でみていた。

だが交際中間くらいの時期、彼は仕事で心を病み、1か月休職した。

そこまで追い込まれて、彼は「やっとランのいっていたことがわかった」とつぶやいた。

自分は雇われている側で、企業と従業員では従業員の方が立場が弱いということをこの時に理解したのだという。

いやいやいや当たり前じゃないか、と思うが、本当に憑き物がとれたのだ、というような反応。

そこから彼は、営業から人事側のキャリアにチェンジした。別れてからは連絡を取っていないが、「働く人のことを守る」という意識が少し芽生えた…?のかもしれない。

メンタルを病んだ従業員の声を聴いたり、会社に掛け合ったりという活動をしていた。社畜マインドに染まってなかなか声を上げられない人を代弁して、動いていたように思う。

会社でうまくいっていたり、頑張っていたりする人ほど、ついつい「自分は雇われている側で、会社に対しては弱い立場なのだ」と思う機会は少ないと思う。

「出世頭」「エース」だなんていわれて、波に乗っている時はいいのだけど、でも、どこかで冷静に自分の給与明細と1か月の費やした時間、かかったストレスを比較してみてほしい。

はたして自分は人間の一人として大事にされていたかどうか、考えてほしい。

(お前、いいように使われてるだけだよ)

そんな人を何名か見たし、それでいて自分が追い込まれている、とか弱っている、ということを認めたがらなかった。

強いものに同調すると、強くなった気になれる


ちなみに小噺をもうひとつ。

最近、アプリで知り合った同い年の男性が究極の右傾化‥(いや、「右」と評価するのは保守の人に失礼かもしれない、いわゆるネトウヨ化)しており、

完全に「日本」という国家や、政府・与党と、一介のフリーランスエンジニアである自分とを、一体化してしまっていることに大いに衝撃を受けた。

なんでそんな人をブロックせずに、今でも連絡を取り合っているのか、と言われれば、
これは私なりのエコーチェンバー対策だ。
同年代の、異なる意見の人の話もきいてみよう、シャットアウトするのは良くない、と信じてきたからだ。(最初は。)

しかも、なんとなく「日本が好きです🌸」みたいな、ゆるふわ愛国者的なアレなのかと思いきや、「安倍晋三さんは本当にいいリーダーだ、みんながやりたがらないコロナの時期に立派にリーダーを務めていた」「野党は文句ばかり」と、まあ、そういう感じの人だった。

それならまだいいのだが、映画『オッペンハイマー』、そして『この世界の片隅に』を見てもなお、

「マッチョイズムと言われようと、男たちが力を合わせて成し遂げたからこそ、現代の文明があるし、戦争抑止の意味でも、原爆は作られるべきだったと思う」

との感想が送られてきて、非常にぐったりした。

オッペンハイマーとこの世界~を立て続けに観て、その感想…!?てか、あーた、日本が大好きなんじゃなかったの!?なんでアメリカ目線なの!?、とずっこけた。

ちなみに『オッペンハイマー』は好きすぎて、円盤まで買ったらしい。

きっとプロジェクトXのようにあの映画を楽しみ、「三位一体(トリニティ)実験」のシーン以降は、爆睡していたに違いない。

そう、「まじでお前、誰目線?」と思ってしまったのである。(今大旋風を起こしている寅子なら「はて?」だろうが、私は言葉が汚い‥w)

でも、冷静に考えてほしい。
私たちはあんなふうに会議室で確定した計画に沿ってアレを落とされた唯一の国に住んでいるわけだし、
間違いなくこれからもし戦争になれば、健康で若い男性である「彼」は戦地に送られるだろうし、

我々96生まれは、間違いなく景気も落ち込み、報道の自由も安定の老後も遠ざかり、どんどん条件が悪くなり続ける30年間を見てきましたよね!?とつっこみたい。(ジェンダーの点などよくなった点もあるが)

が、ずるいことに彼は決まって「僕は勉強不足なんですけど」と繰り返すのだ。

でも、わからなくもないのだ。

考えることをやめて、「物分かりがイイオレ」を演じて、政府だって頑張ってるじゃん、とか文句を言わずにやれることをやるのがかっこいい生き方、とかそういう前向きっぽいセリフを吐いていたほうが、精神衛生上イイ感じになるのは、わからなくもないのだ。

でも、それはいつか無理がたたるし、歪みが大きくなると思う。

最初はしんどいが、自分は弱い立場にいる、自分は加害されている、と認めるところから始めたほうが、長期的にいいほうに向かうと思う。

彼は「マイハマさんは異なる意見のことも受け入れられてすごいです!」と繰り返しいうが、受け入れてないし、もうマイハマさんのライフはゼロだ。彼は変わらないだろうし、そろそろブロックしようかと思う。

もう十分だし、こちらのHPが削れてしまう。

あれってセクハラだった、とみとめるのは屈辱だししんどい


いってしまえばフェミニズムもそうだと思う。最初に「自分は女という低い(とされている)性別に生まれた」と認めることは厳しい。私だって認めたくなくて、最初はゴリゴリの名誉男性をやっていた。

ましてや、経済的に自由がなかったり、のし上がって高い地位にいたり、「女の武器」とされるものを用いて人生をサバイブしていたりすると、そうそう自分は弱いほうにいる、とは認められないと思う。

強いほうに一体化したほうが、絶対ラクだ。人間は「楽」には逆らえない生き物だ、とライムスター宇多丸さんもラジオで言っていた。

「女だけど男の気持ちもわかる自分」「セクハラをギャグに受け止められる自分」「男社会に文句を言わず、やることやって勝ち取ってきた自分」をやっていたほうが、荒療治としては効果的なのだ。 

でも、それは治ってない。強い薬でごまかしているようなもので、いつか絶対限界が来る。


デモや、ストライキへの世間の忌避感も、なんとなく「弱い者たち」にみえるから、というのがある気がする。

でも、残念ながら弱いんだよ。自分は残念ながら権力側にいない、ということをまずは認めなきゃ。

まず、自分は弱いほうだ、とみとめることから始めてみませんか。と思う。

認められて、尚且つ上手に文句をいえる人は、本当の意味で最強だと思う。


5/25追記
桃山商事清田さんのこちらの文章
少し関連があるように思えたので貼ります

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