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看護師を辞めてWebエンジニアになった話

今から10年前、
僕は看護師を目指し、看護系大学へ進学しました。

高校生活を、完全無気力な状態で過ごした僕は
やりたいことも見つからず、

「安定するから」

という理由だけで、看護師を目指しました。

もちろん、面接では
「人の役に立つ仕事がしたい」
と、堂々と宣いました。
(そう言うものですよね?)

テストの前には、男同士で集まって
ファミレスで一夜を明かすなどしていました。

その甲斐があったのか、なかったのかは分かりませんが
無事に国家試験に合格し、
地方ではそれなりに大きな病院へ就職することができました。

それから6年が経過した今年、僕は看護師を辞めました。

はじめまして。すみればと申します。
今はWebエンジニアをやっています。

今年は本当に人生の分岐点と言ってもいいような出来事が多すぎました。
(どれも自分で決断したことですが)

一体何が起こったのか、どうしてこんな判断になったのか。
自分の中で振り返る意味も込めて、記事にまとめてみようと思います。

看護師生活はどうだったか

僕は4年制の看護系大学を卒業し、国立の病院へ就職しました。

どこの企業でも同じかもしれませんが、
最初は1ヶ月程度集団研修がありました。

同時期に就職した仲間も30人程度いて、
その中で、男は僕だけでした。

まあ、そこは大した問題ではありませんでした。


集団研修を無事終えると、
新入社員達は、それぞれ病棟に配属されていきました。

僕が配属されたのは、循環器・消化器内科を主とする病棟でした。
患者さんの多くは、心不全やがんを患っている方々でした。

病棟の先輩達も、とても人がよく
夜勤明けには、お昼まで一緒に居残りして下さるくらいには
愛情深く指導をして頂きました。

配属されて、最初の数年間
僕は、新しい知識がとにかく欲しくて
早く、「ワカルぞ…!!」状態になりたくて
参考書を読んだり、講義に参加したり、がむしゃらに勉強していました。

得た知識を認められて、先輩から講義を開くように依頼されることも増えました。
自分の中の巨大な承認欲求が満たされて行くのを感じて、
とても充実していたことを覚えています。

しかし、徐々に自分の中で
「何かが違う」という感情が芽生え始めました。

なぜ看護師を辞めたのか

「何かが違う」という感情の原因について
しばらく考えてみました。

その結果わかったことは、
「変化がないことへの恐怖心」
と言うことです。

看護師になって最初の頃は、
新しいことを学び、新しい経験を毎日のようにすることができました。

しかし、それも数年経つと徐々に減ってきます。
俗に言う、コンフォートゾーンに入ってしまったのです。

この仕事を定年までずっと続けていくのか、
そう思うと気が遠くなりそうでした。

気が遠くなり始めた僕は、
辞めるのに値する、最もらしい理由について考え始めていました。

一つ目、
「収入源を一本に絞るのは危ない」

看護師免許を持ってると、当然のように看護師として働きます。
当然です。
看護師としての給料しかありません。
病院が潰れたらどうしましょうか。
(それは多分ないかもしれませんね)

二つ目、
「挑戦をしない人生は後悔が残る」

看護師を続けていたら、安定した給料をもらい
普通に幸せな生活を送れるだろうと思います。
しかし、看護師だけで人生を終えるのはもったいないんじゃないかと
貧乏性の僕は考えました。
せっかくなので、全く別の仕事にチャレンジしようと思いました。

三つ目、
「労働時間の切り売りから抜け出したい」
世の中、大抵の仕事は「労働時間の切り売り」です。
要するに「時給」です。
看護師も例外ではなく、ずっと労働時間の対価としてしか
お金を稼げないのかと考えると、気を失いそうでした。

四つ目、
「看護師は向いてない」

ここら辺で、もう最もらしい理由ではなくなってきたので
悪あがきは辞めます。

看護師を辞めると決めてから

僕の心は決まりました。
こうなったら、絶対に看護師を辞めなければいけません。

これは僕の人生における、最大の課題です。

となると、新しい何かを学ぶ必要がありますね。
まあ、そんな時間ありませんよね。

しかし状況が変わりました。
コロナが流行し始めたのです。

その影響で、病棟は一部閉鎖しコロナ専用病棟が立ち上がりました。
僕はその病棟へ異動となり、環境が大きく変わりました。

それまでは定時で帰れることは皆無、残業が多く
朝も早く行って、情報収集をする必要があります。

しかし、コロナ病棟は病床数が少ないので
毎日定時上がり、朝も比較的遅めです。

自分の時間を確保できるようになりました。

これはもう、看護師を辞めろと言われているようです。

そうなると、諦めかけていた野望が
再び燃え始めるのに時間はかかりませんでした。

手始めに僕は、副業を始めようと思い立ち、
Youtubeで勉強を始めました。

せどり、ブログ、アフィリエイト、動画制作、プログラミング

色々と挑戦してみた結果、
プログラミングが一番、自分に合っていました。

看護師とエンジニアの両立生活

そう思ってからは、ひたすらプログラミングの勉強を続けました。
その頃には元の病棟に戻っていましたが、
僕はもう後には引けません。

上司には既に
「来年で辞めます」と宣言していたからです。
自分で自分のケツを叩くスタイルです。

なぜだか後がなく追い込まれてしまった僕は、

なんとかして、仕事の日の朝早く起きて
なんとかして、帰ってきてからの時間を作り
勉強を続けて、副業を受けるようになりました。

(「なんとかして」の部分は、いつか別で記事にまとめようと思います。)

副業は主に、クラウドソーシングサイト経由で受けていましたが
今思うと、低単価すぎだったなと思います。

しかし、当時は安くても経験のためと
必死に提案文を送る毎日でした。

ようやく受注できた案件は
5Pで3000円のコーディングです。

これは、生きていけない
と思いました。

いっときの気の迷いで、
退職後そのままフリーランスになろうと思った
あの頃の自分に飛び蹴りしたいです。

おとなしく就職しろ。

転職活動はTwitter

エンジニア転職は人生二度目の、最大の課題です。

看護師を辞めたい欲望と
上京をしたいという欲望を叶えるためには

都内の制作会社を探す他ありません。

気が高ぶるのをひしひしと感じながら、
転職エージェントを一通り漁りましたが、
いまいちピンときませんでした。

その頃僕は、
プログラミングの勉強を完全に独りでやってきたために、
仲間という存在に飢えていました。

当たり前ですが、周りには医療関係者しかいません。
少しでも繋がりが作れるようにと、
生まれて初めてTwitterを初めてみました。

学んだ技術を、Twitterで発信していると
少しずつ、反応をもらえることが増えて来ました。

それが嬉しくて、また新しいスキルを身につけると
積極的に発信するようになりました。

そうすることで、学んだことをアウトプットする流れが習慣となり
結果として、スキルアップに繋がったのではと思います。

そしてある時、いつものようにTwitterを眺めていると、
気になっていた制作会社がエンジニアを募集していることを知りました。

ここから、また勝負の期間が始まります。

命懸けのポートフォリオ制作

募集要項には、「制作物の提出」の必要性が書かれていました。
いわば、ポートフォリオです。

僕は、ポートフォリオサイト
持ってはいたのですが、かなり初期の頃に作ったので
とても提出できたものではありませんでした。

募集期間は、年内まで。
現在は2022年の9月です。

あと3ヶ月。。

やるしかない。

その頃の自分の中でのトレンドは、海外サイトのような
動きを大きく取り入れたデザインです。

しかし、デザインの勉強など全くやっていなかった僕は
ひとまず、デザイン本を買って読み漁りました。

もちろん、そんなことで身につくはずもなく
色んなサイトをひたすら見回って
真似できるところはないか、探しました。

ワケもわかっていないまま、ワイヤーフレームを作り
正解が不明な状態で、デザインを作りました。

試行錯誤していくうちに、

「キタぞこれは、めっちゃイケてるじゃん!!」

というデザインが完成しました。

それをもとに、自分で実装をします。

しかし、実際に画面に描画された時
何かが違いました。

実装しながら、見た目を調整する愚行。
もはや最初に作ったデザインとは別物です。

あーでもない、こーでもないしながら作りましたが
3ヶ月で終わるワケもなく。。

年末になって、応募は無理かと思っていました。

が、もう一度よく募集要項を読んでみると

「ドキュメントでも可」
と書いてあるではないですか。

僕は、技術記事をいくつか書いていたので
それで応募してみよう!と、勢いのままにメールをしました。

ポートフォリオの作成は間に合わなかったですが、
無念の思いがあって、メールに制作中である旨を記載してしまいました。

それが、よかったのか悪かったかは不明ですが、
記事を提出したことも功を奏して
ポートフォリオの完成まで
待って頂けることになりました。

こんなに有難いお話はありません。
毎日仕事に行く前、帰って来た後
狂ったように制作を進めました。

1月中旬頃にようやく完成し、
無事提出することができました。

そして、一次、二次と面接を行い
ようやく採用して頂けることが決まりました。

まさか、一社目で合格となるとは
思いもしていなかったので
心底安堵したことを覚えています。

エンジニアとしてのこれから

2023年、3月に看護師を退職し
5月より、エンジニアライフがスタートしました。

空白の2ヶ月は、
家探しと、スキルアップに努めておりました。

よし、これからの人生
エンジニアを極めて
この世界、上り詰めてやるぞ!

そう思っているわけではありません。

もちろん、エンジニアとしてのスキルは
毎日のように磨いています。

しかし、看護師を辞めたいと思った時に感じていたように

僕は変化や挑戦がない状態になることが嫌いです。

安定している状態に、危機感すら覚えてしまいます。

人生に挑戦という刺激がないと、
満足できない体になってしまいました。

困りましたね。

しかし、そういう方もきっといるのではないでしょうか。

こんな駄文を読んでくださっているあなたは
きっと、仲間だと思っています。

あなたもきっと、何かに挑戦したくて
転職して新しい世界を見てみたくて
この記事を読んでくださったんですよね。
違います?

大丈夫です。

挑戦することは、誰にでも平等に与えられた権利です。
その権利を、たっぷりと活用して
刺激的で魅力的な人生を、
一緒に歩んで行けたら、すごく楽しそうですね。

次は何に挑戦しようか。

エンジニアの枠にとらわれず
色々なことを学んでいきたいと思います。

最後までお付き合い頂いて、
ありがとうございました。

応援しています。
応援、して下さいね。


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