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自虐の才能の使い方

 こんにちは、スミレです。

 最近、私には自虐の才能があることに気づきました。
 何かが起きた時、真っ先に自分の非を見つけ出します。それだけでは足りずに想像力を振り絞り、より自分のせいにしようとします。

 例えば、ワイヤレスイヤホンの充電を忘れた時。忘れたといっても残り50%ほどありましたが、外出前に70%以下では心細いと感じる性分ですので。
 やっちまった、と思ったが最後。秒速で稼働し始める私の脳内はこんな感じ。

・充電忘れは他でもない私のせい(まあ、それはそう)
・昨晩のうちにできたはずの動作をすっぽかしたせい
・すっぽかしたのは疲れて動きたくなくてノロノロ行動していたせい
・周りより非アクティブな生活しているのに疲れるとかスタミナなさすぎる
・冷静に考えて残り50%でも問題ないのに気にしすぎている
・バスや電車を耳栓(代わりの音楽)無しじゃ耐えられないとか貧弱すぎる

 ……気が滅入ってきたのでここらで切り上げます。
 確認ですが、起きた事実は「ワイヤレスイヤホンの電池残量が50%だった」ことのたった1つです。
 些細なことでも、調子が良い(?)時は「こんな私が存在していて何の役にたつの?」とまで考えるのですから、もう才能といっても過言ではないと思うわけです。いや要らん、そんな才能。

 ただ不思議なことに、いくらでもネガティブな評価に持っていく癖は、他人相手だと出てきません。これも最近気づいたことですが。
 例えば友人に遅刻された時(待ち合わせるような友達、少ないですけど)。どれだけの時間待たされても、相手に非があるという発想が出てきません。というか、待たされたとも感じない場合があります。
 寝坊したと言われれば「コンディションが大丈夫じゃない時に付き合わせてしまって申し訳ない(相手からの誘いであったことは棚に上げている)」。電車が遅延したと言われれば「私がもう待ち合わせ場所にいるから、混雑した駅内で余計に焦らせてしまっている」。……あれ、いつの間に自虐スイッチが。
 まあこんな人間ですから、自分が遅刻したらより酷い自虐を繰り出して勝手に落ち込みだすことは火を見るより明らかでしょう。実際そうです。そんな状態で出掛けては、楽しい空気の邪魔にしかならないとも思います。

 正直しんどいですが、物は考えよう。この想像力が活躍するポイントなんて掃いて捨てるほど多くあるはずだと、頑張って考えてみました。
 上記のような自己嫌悪のスパイラルに陥っても、「こんな短時間で色々想像できるって結構すごいことでは?」「改善点探しに役立つじゃん」とうぬぼれてみても良いかもしれない、なんて。
 また、「やらかした私」を「友人」に置き換えても良いかもしれないと考えました。「そんなに困ることでもないんだから大丈夫だって」「もしかしてこういうやり方が合わなかったのかもよ?」と、対自分よりも、対他人のつもりで考えれば、優しい言葉でアドバイスできます。個人的には結構やりやすいです。

 「こんな原因があった、こんな結果になった、こうすれば心地よい結果にできるのではないか」と考える力が私にはあるのかもしれない。それを「どう表現すれば相手にとって心地よい影響にできるか」と配慮できる力が私にはあるのかもしれない。

 ……あれ、いつの間にか自己肯定し始めてる?
 となると「自虐」の才能という呼び方は正確ではなくなるかもしれません。呼び方がそのままでも、物は考えようだし、才能も癖も使いようなのでしょうか。

 もし「私にも自虐の才能がある」と感じる方がいらっしゃいましたら、この記事が何かしらの参考になれば幸いです。
 
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

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