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自分、合唱が苦手でして。

 こんばんは、スミレです。

 私は小学生の頃、学校にあった合唱団に所属していました。
 本来は3年生から入団可となっていましたが、当時の先生は2年生の時点で入団の意思がある児童たちのため、特別に練習時間を設けてくれました。なので私は、実質2年生の時から所属していたことになります。
 もっと言うと、6年生の時にはリーダーをやっていました。他に立候補する人がいなくて、いつまでも決まりそうになかったから引き受けた、と言う理由ではありますが。

 つまり、私は元々、合唱が大好きでした。
 過去形です。今は違います、むしろ苦手です。先生がきっかけで、モヤモヤを抱えるようになりました。

 前置きが長くなりましたが、本記事ではそのきっかけ2つを書いていきます。


①中学1年生の時の先生

 過去の記事『選択肢の1つに通信制高校を提案したい話』で紹介した、高圧的な完璧主義さんです。この先生は英語の先生で、合唱にも人一倍熱を入れて指導する人でした。

 まだまだ入学したての頃、授業で初めて英語の歌を歌った時のことです。
 教科書に載っていた曲を、1班ずつ歌って、全員が酷評されました。放課後の部活に行かせてもらえず、全員で歌い直すことになりました。
 授業中、私は集中砲火を受けました。

「お前小学校で合唱団に入ってたんだろ、しかもリーダー。1番上手く歌えなきゃダメなのに1番声出てないっておかしいだろ。わざと手ぇ抜いてんのか?」

 流石に一語一句完璧には覚えていませんが、内容も口調もこんな感じです。まだ顔と名前が一致している人が1人もいないクラスで、こう言われました。

 あのね、先生。
 確かに私は合唱団に入ってたし、リーダーもやってたよ。
 でもね、初めて聞いた曲を1回しか聞かせてもらえなくて、そのままフルで歌えって要求された経験なんてないよ。
 発音も完璧じゃないと「オカシイ奴」呼ばわりする先生の前で、英語の歌を歌うって、そのハードルの高さは並じゃないのよ。
 確かに私は、勝手にプレッシャー感じて、勝手にパニック起こして、声なんて全く出せなかった、それは謝るよ。
 でもあれが、私の全力だったの。結果は散々でも、私は頑張ったの。
 当時の私が意地で涙を堪えた分、今の私が書きながら泣いちゃったほど傷ついたのよ、貴女は知りもしないでしょうけれど。

 似たような理不尽は、同じクラスの女子生徒にも訪れました。それは夏休み直前、2学期の合唱コンクールに向けての練習が始まった頃。

「顔が気に入らないんだよ」

 今思い返しても、意味が分からない。
 表情といえば、歌う時は口角を上げろと再三言われてきたけれど、嘘でも笑えないような空気感を作るのはいつも先生だった。
 それにしたって、あの子1人だけに何度も「顔が気に入らない」って責めるって、何事?
 そしてやっぱり、クラス全員の前で、1人を相手に。合唱に限らず、同じパターンで晒し者にされた生徒はたくさん。

 私が知ってる合唱は、口角上げろなんて言われるまでもなく、楽しくてつい笑顔になってしまうモノだったのに。
(実はこれが不登校の決定打だったりします)

②高校の先生

 卒業式対策委員の集まりでは、「みんなの記憶に残る良い卒業式」を目指して話し合いを重ねています。今までは形式張った式をして即解散の流れでしたが、今年は生徒たちが考えた演目?もやろう、という方針になったからです。

 対策委員だけではなく、卒業生全員からも案を募りました。
 その時に「合唱はキライ」と断言した人がいて、少なくない人数が共感を示していました。
 私はもう合唱好きではありませんが、「卒業式と言えば合唱」とばかり思っていたので、実は驚いていました。歌わない卒業式は未だ未経験です。

 「みんなの記憶に残る良い卒業式」を目指している以上、嫌がられている演目をわざわざやる必要もないだろうと考えていました。だから私は、合唱の採用には反対でした。

 が、対策委員を取りしきる先生は「合唱って楽しいもんね、良いじゃん」の一点張り。よりにもよって、全員参加型の枠に、合唱を推しました。
 私と、隣に座っていた友人は「でもやりたくないってハッキリ言った人もいるのに、全員参加で合唱は……」と思いつつ、大っぴらには発言できませんでした。

 学校行事と言えば、不真面目な態度がカッコいいと思ってわざと斜に構える生徒も少なからずいると思います。本当に考えなしにそうしているのであれば、一蹴するのも必要かもしれません。普段は冷静に諭す形で説教する先生が、合唱コンクールの時にだけ怒鳴り声を上げたこともありますし。

 だけど、態度には出さず、内心では死ぬほど苦しんでるってパターンもある。
 高校の卒業式って、人によっては人生最後の学校行事になる人もいる。その最後で、死ぬほど苦しまされたことを強要されたとしたら、それは良い記憶になるのでしょうか。

 もちろん、万人の望みを叶えることができるなんて考えていません。妥協する力、不満を飲み込む力がないと集団行動はできないでしょう。
 だけど、みんなの前で、先生たちの前で「合唱がキライだ」と発言したあの人の存在が、それに共感した人たちの存在がそもそも無かったかのように話が進むのは、とてもモヤモヤする。
 せめて「嫌だと思う人もいるだろうけれど、卒業式に合唱はどうしても必要なものだから」くらい言って欲しかった気もする。

 せめて合唱以外の場面では、あの人たちにとっても楽しいと思える瞬間を作ってあげたいです。そうでないと私も、苦い思い出として卒業式を終えてしまうでしょうから。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。
 ただでさえ新年早々に心苦しいニュースが飛び交っている中、ただの愚痴のような記事を書いてしまってごめんなさい。
 ですが合唱は、いつか自分の中で気持ちを整理しなければいけない切実な問題でした。まだまだ消化しきれていませんが、こうして吐き出して反芻しないと、きっと一生達成できません(それにnoterを付き合わせるなと言われたら反論できません……)。

 上手い終わり方が一向に考えつかないので無理やり終わらせます。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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