子供の頃のこと。
大人になってもまだ、自分という人間がよく分かっていない。
物心ついた頃は、内向的で照れ屋で頑固だった。
幼少期に少し怖い犯罪にも巻き込まれたので、
周囲に対して警戒心は強かったように思う。
とにかく家族にも先生にも同級生にも
「怒られる」ということが怖かった。
だから上手く人とコミュニケーションが取れなかった。
内気なため、家族と限られた友人しか話さなかったし、(今は場面緘黙症というらしい。)
小学生の頃は勉強も出来ず、運動も出来なかった。
仲間はずれにされたり、いじめにも遭った。
それを俯瞰して眺める、
いつも冷静な「もう1人の自分」みたいな存在が
自分の内にあって、
「でしょうね。」というような気持ちだった。
自分が自分に1番、無価値観を感じていたのかもしれない。
でも、不登校にはならなかった。
周囲の環境が許してくれなかったし、度胸もなかった。
心のどこかで、
「ここに交じるくらいなら1人で良い。」
って気持ちと
「でも、誰とも仲良くならないなんてカッコ悪い。。」
のせめぎ合い。
入学してすぐに、家のカレンダーをめくり
卒業までの日数を数えていたのを覚えている。
毎日引き出しを開けては、
「私だってのび太君くらいダメな子なのに、
なんでドラえもんは来てくれないんだろう?」
とため息ばかりついていた。
でも落胆はしていても絶望はしていなかった。
どんなにツイてない日々でも不思議とあっけらかんとした楽天的な性格でもあったし、
「きっと卒業したら、輝かしい未来が待ってるはず!」
と未来にラッキーを回収する気満々でいた。
この「いつか○○デビューして未来にラッキー回収」思想は未だに延々と続いていて、
全く成長していない己の精神年齢の低さに
たまに驚かされる。
今になると、
学校という1つの基準の中にある価値観に縛られ
揺れながらも、
絶対的に信じている自分だけの物差しもあって。
それが自分を救ってくれてたんだなぁと思う。
へこたれない性格で、本当に良かったと思う。
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