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私を作ったゲームたち

物心ついたときには私はコントローラーを握っていた。そう、スーパーファミコンの虜だったのだ。

「ドンチーやる!!!!つないで!!!!!」

ドンチー、じゃなかった、ドンキーコングですね。めちゃくちゃやってました。しかも2-2のマインカートコースターだけを延々とやるという奇行に走っていて、叔母や叔父は呆れていました(画面変わらないし)またやるの?ってしょっちゅう言われてたけど、あのコースはいいんですよ。Bボタン(黄色ボタン)押すだけで良いのに程よく難しいから幼稚園児にはちょうど良かったわけです。

あと、アラジン。ディズニー映画で有名なアラジンですが、実はスーファミにもソフトがありました。当時はそれもやってましたね。特にカーペットで火の海から逃げるところが難しかった。叔母にめちゃくちゃやらせてましたね。懐かしい。

当時の私はそのコースが嫌いだったので、その次のコース、ジーニーのかわいいコースから始められるパスコードを使ってそこからばっかりやってましたね笑

ジャファーはもう何十回も倒しました笑

んで、MOTHER2。これまた幼稚園の時に家から発掘されたゲームでした。赤いパッケージにMOTHER2って書いてあるだけの箱って、当時の私にとっては開けづらいものだったけど、好奇心で開けてみて、その説明書を見た時に面白そう!!!!と思って、速攻始めました。やり方も何にもわからないまま起動すると、、、

なんか怖い!!!

そう、なんか怖いのですよ。宇宙人が襲来するというところから始まるので。でもそこを過ぎると軽快な音楽が流れて冒険シーンになる。なんかワクワクして名前も自分の名前をいれてましたね。必殺技はPK SMAP。全部決め終わると、主人公がベッドで寝ているところから始まるのです。

ところが

隕石がどぉおぉぉおんっとなるわけです。意味が分からなくて当時の私は、怖い!!!怖過ぎる!!!とパニック。横スクロールのゲームしかしてこなかったので、RPGがなんなのか分からず起動し、あまりの恐怖にホラーゲームと勘違いしていました。

洗濯をしていた母に泣きつき、コントローラーを無理やり握らせ、やらせました笑

実は父の私物だったらしく、結婚した時にやってたからやり方は知っていた模様。私は家に帰るとMOTHERやって!!!!とめちゃくちゃにせがんで母親にストーリーを進ませることを強要していました。

が、それが悲劇を生んだのです。

実は弟もこのゲームを母にやらせることにハマっており、もう残すはラスボスのみ!というところで、私が幼稚園に行っている間にMOTHERやってとせがんだのです。母はどうせクリアできないだろうからとOKしたらしいのですが、なんとクリアしてしまったそうなのです。

ゲームクリアが見れなかった、、、

そしてギャン泣き。MOTHER2封印。

母にやらせたバチが当たったのだろうなぁと今は思いますけど笑

そして、小学生に上がり、今度は自分でしようと思って始めました。見事全クリしてエンディングを見ることができました。成長を感じます笑

振り返ってみれば私のゲームの原点はスーファミにあるなぁ。今でもするけど、年々ボロくなっているのが気になるところ、、、壊れないで欲しいなぁと願っております。

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