出口王仁三郎「神示の宇宙」現代語訳②

(過去記事)
神示の宇宙 その一
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神示の宇宙 その二

その一で述べたことを補うために、さらに少し断片的に説明を加える。
しかし、自分の宇宙観は、全て神示のままなので、
現代の天文学と照らし合わせてどうなのかは分からない。

自分は神示に接してから24年間、世界の出版物からの縁を絶っていた。
なので、現在の天文学がどの程度まで発達しているかも、もちろん知らない。
よって、自分が言う宇宙観に対して現代の天文学的知識をもって臨んでも、すぐに納得できない点が多いだろう。

その一に引き続き、太陽のことから順番に述べることにする。

太陽は暗体(あんたい)であり、太陽の色が白色を加えたような赤色に見えるのは、水が光っているからである。
暗い夜に、赤い布と白い布を比較してみれば、白い布の方がはっきり見える。
これによって、水が光っていることが分かる。

大宇宙間の小宇宙は、お互いに牽引し合っている。
同じように太陽も、星々の牽引力によって、その位置をキープしている。
ゆえに、天主(てんしゅ=おそらく創造主神のこと)は太陽を支えるためにまず、星々を造ったのである。

太陽と私たちの地球との距離は、小宇宙の直径56億7千万里の8分の1にあたる。
大空(たいくう)の全ての星々は、自身で光を放ち、太陽の高さ以上の場所にある。太陽の光は、決して大空に向かって放射されず、懐中電灯のように、大地に向かってのみ放射される。

普通、私たちは、太陽の昇る方角を東としているが、本来宇宙それ自体から言うと、東西南北の違いはない。仏説に「本来無東西何処有南北(本来、東西はなく、南北がある)」とあるのも、この理由による。

これから東西南北の区別をすると、大地の中心である、地球北極に当たる。
北とは、気垂(きたる)水火垂(いきたる)呼吸垂(いきる)の意味である。
南とは、皆見(みなみ)えると言う意味の言霊(ことだま)である。

地球は前述のように、世の学者らが信じているように円球ではなく地平である。
私たちの地球は、大地の中心の極めて小さな一部分であり、大地は、第一図に示してあるように、ほとんどが氷山である。
その氷山は、地球から離れるほど高くて険しくなっていく。
普通、氷山が解けるということは、地球の中央に接近している氷山が解けるだけで、大部分の氷山は決して解けることはない。

地球説の一つの証拠として、人が海岸に立って、沖へ行く船を眺める場合、船が段々沖へ行くに従って、最初は船体が見えなくなり、次第にマストが見えなくなるという事実が挙げられるようだが、それは私たちの眼球がすでに円球に造られているからである。
望遠鏡は凹鏡(あうきょう)なので、人間の瞳との関係で遠方が見えるのである。
よって、地球は丸い説に固執する人々は、まず人間の眼球そのものの研究から始めなければならない。

また、地球は一種の光輝(かがやき)があり、暗体ではない

宇宙全体において、最も重大な役割をしているのが太陰(たいいん)すなわち、である。
太陽の恩恵によって万物が生成化育(せいせいかいく)していくことは誰でも知っているが、隠れた月の広大無辺(果てしなく、広く大きいさま)である恩恵を知る人はほとんどいない。

宇宙の万物は、この月の運行にとても重要な関係を持っている。
月は29日余り、すなわち普通のひと月で、中空(=大空と大地の中間のこと)を一周する。
ただし、自転をしているわけではなく、単に同じ姿勢を保って運行しているに過ぎない。
大空における月の位置が、例えば月の三日には甲天(こうてん)に、四日には乙天(おつてん)と、順次変わっていくのは、月が静止しているのではなく、西から東に向かって運行している証拠である。

月が私たちの眼に見えるのは、第一図の上線を運行している場合で、下線を通過しているときは私たちには全然見えない。
月が上線を運行するときは月読命(つきよみのみこと)の活動であり、下線を運行するときは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の活動である。

次に月を眺めて第一に起こる疑問は、あの月面の模様である。
昔から「猿とウサギが餅をついている」と言われるあの模様は、私たちの五大州の影が、月面に映っているのである。
そのため、いつも同じ模様が見えている。
欠けた月の反面に朧げな影が見えるのは、月それ自体の影である。
つまり、月の半面である、火球の部分が見えているからである。
(※補足:月は水球と火球と半分ずつでできた球体。火球は暗体。)

月蝕が起こるのは、月が背後から太陽に直射された場合である。日蝕は、月が太陽と地球の中間に入って、太陽をさえぎった場合である。

銀河は、太陽の光が大地の氷山に放射され、それがまた大空に反射し、大空にある無数の暗星がその光の反射によって、私たちの眼に見えるのである。
銀河の外べりに凸凹があるのは、氷山の高低に凸凹があるためである。

また、彗星(すいせい)は、大虚空(だいこくう=何もない空間)を運行し、時々、大地からも眺めることができる。
大虚空(だいこくう)とは、この小宇宙の圏外のことを名付けたもので、青色をしている。
大空の色は緑色である。
しかし、私たちは大空の色だけでなく、青色の大虚空も一緒に通して見るから、碧色(へきしょく)に見えるのである。

この小宇宙を外から見れば、大空は大地よりもずっと薄い紫、赤、青など各色の霊衣(れいい)によって覆われている。大地は、黄、浅黄(あさぎ)、白色など各色の厚い霊衣によって包まれている。
そして、この宇宙を全体として見るときは、紫色をしている。これを顕国(うつしくに)の御玉(みたま)と言う。

(大宇宙は、)私たちの(地球がある)小宇宙を中心として、他の多くの小宇宙とそれぞれ霊線(れいせん)によって蜘蛛の巣のように四方八方に連絡し、通じ合っている。
それらの小宇宙にも、私たちの地球上の人間や動植物と同じようなものが生息していない。
ただし、この私たちの小宇宙における、地球以外の星には神々はいらっしゃるが、地球上に生息するような生物は断じていない
この小宇宙と他の宇宙との関係を図で示すと、第五図のようである。

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神示の宇宙 その三

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