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サードプレイス=疑似家族

西村創一朗さんにインタビューさせていただいたとき、「サードプレイス」という言葉をしきりに使っていたのを覚えています。

サードプレイスとは、文字通り”第3の場所”という意味。
仕事でもなく家庭(プライベート)でもなく、それ以外の場所を指しています。
オンラインサロン、社会人スポーツチームなど、種類はさまざまありそうですね。

僕自身にも、いくつかのサードプレイスがあります。
・上記記事の中にある「ユニーク大学」というコミュニティ
LivingAnywhere Commonsに滞在する中で出会った人たち
・今住んでいる下田の人たち
がこれに該当します。

こういう環境の中でいると、たまに思うのがこういうこと。

家族みたいだね。

仕事仲間でも友達でもない、その中間

人間関係は、よく
・仕事仲間
・友達
の2種類に分けられます。
※家族は除く

この2つは、あくまで主観ですが、
・業務時間内に接する人
・業務時間外に接する人
という風に定義されるのでしょうか。

サードプレイスの人たちは、この2つで行くと後者に該当するのでしょうが、感覚的には”友達”ではないような気がしています。
また、ビジネスをともに進める人でもない。

なので、サードプレイスで接する人たちは、仕事仲間と友達の中間なのでしょう。
うまく表現できないもどかしさはありますが、今はこの言葉が一番しっくり来ます。

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サードプレイスでは見返りを求めていない

サードプレイスにおける僕の行動、皆の行動を見ていて、「皆、見返りを求めていない」と気付きました。
具体的に言うと、お金が発生しようがしてまいが、「やりたいこと」にとことん取り組んでいる方が多いのですね。

具体例を2つあげます。

一つは、LivingAnywhere Commonsの例について。

先月より、このようなイベントが毎週開催されており、僕も運営メンバーとして関わっています。

企画会議に参加したり、登壇者を推薦したり、当日グラレコをしたり、さらには司会をやりたい人を募集して推薦したり。
これら、誰かに言われてやったことでもないし、お金をもらってやっていることでもありません。
ただ、心が動いたから。

僕がLivingAnywhere Commonsの伊豆下田拠点に住んでいる中で、すでに動いていたプロジェクトに巻き込んでもらってしれっと仲間入りした形ですが、本当に心地よい関係性を築けています。

仕事かどうかは考えず、この中にいるのが心地いい
それだけが行動の理由です。

2つ目の例は、僕が運営する「エリアラボ」というコミュニティについて。

今年の2月から運営しており、現在約130名もの方々に集まってもらっています。
オンラインインタビューやワークショップを中心に、それぞれが「さらなる可能性を掴めるように」と活動しているコミュニティです。
(以下のようなワークショップを行っています)

その中でたまに「コラム書きたい人ー?」とか「インタビューやりたい人ー?」と呼びかけると、嬉しいことに手を上げてくれる人が一定数いるんですね。
その理由を聞くと、「経験を積みたいから」「前からやってみたいと思っていたから」とのこと。

そういう、純粋な気持ちで手を上げてくれています。
つまり、見返りを求めていないのですね。

コミュニティ主催者としては、「皆に還元できる仕組みを作らねば」という申し訳なさも抱きつつ、見返りを求めないからこその行動をしてくれているのだと捉えています。

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サードプレイスに生まれる「帰属意識」

サードプレイスにいると、「俺ここに所属しているんだ」と言いたくなりますよね。
僕もよくやりますが、Twitterのプロフィール欄に #コミュニティ名 を入れがち。

つまりそれは、「帰属意識が生まれている」ことの現れです。

仕事で得た発見を共有したくなるし、面白かったことをシェアしたくなるし、時には一緒に仕事をしたくなるし。
精神的に「ただいま」と言える場所が欲しいのでしょう。

オンラインオフライン問わず、コミュニケーションが多いのはサードプレイスの人たちです。
時には仕事の連絡、時には冗談を言い合うなど、絶妙なバランスで関係性を築けるので、帰属意識が生まれるのも自然かもしれません。

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サードプレイスは疑似家族だ

僕が過去に好きになった組織は、決まって家族感がありました。
小中で所属したテニスクラブ、大学の野球部がそれにあたります。

特に、大学野球部の見学に行った際、先輩のマネージャーの「うちは家族みたいなもんなんだよねー」という言葉が印象に残り、入部を決めたのを未だに覚えています。

その感覚は社会人になっても大事なものになっていて、今所属して心地いい場所は家族のような感情になるときがあります。
家族みたいなもの。疑似家族ですね。

戸籍上の家族はもちろんのこと、この疑似家族の存在が、自分の人生を豊かにしてくれるのでしょう。

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