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ずっと同じなんてありえない。だから前へ行け

物事は、自分が想像しているよりもうんと早く変化していく。
昨日までの当たり前だって、今日には当たり前ではなくなる可能性だってあるのだ。

現在、高校までの18年間を過ごした地元に帰省している。今年で28歳なので、地元を離れてから丸10年が経とうとしている。

ほぼ毎年帰ってきているので、見慣れた景色ではあるが、ちょっとずつ変化していることも感じ取れる。

物心ついたときから家の近くにあった弁当屋さんが、いつの間にか姿を消していた。
小学生のときに、ズボンが破けるぐらい滑った公園のたこさん滑り台が、いつの間にか撤去されていた。

また、田んぼだったところに新築の家がボコボコ建っている。
踏切がなかったはずのところに踏切ができていて、通れるはずのなかった道が通れるようになっている。

このように、僕の記憶の中にある地元の街も、10年経って確実に変化しているのだ。
10年前と同じなんてことはありえない。

さらに言うと、人だってそうだ。
友達が意外な仕事に就いていたり、友達同士が結婚していたり、おなじみの店員さんの姿を見かけなくなっていたり。

街が変われば、そこに居る人も変わる。
10年前と同じなんてことはありえない。

川や海、山の木々など、人間の手が加えられないもの以外は、姿を変える可能性がある。人間の手によって変えられる可能性が大いにある。
つまり、人間がいる限り、街も人も変わり続けるのだ。

しかし、この変化は、いいことだと思う。
時代が変わればニーズも変わるし、その変化に対して街も人も柔軟に変わっていく。
その結果、そこに居る人たちが幸せであり続けられる。
つまり、ずっと同じである必要がないし、姿を変えたこと即ち前に進んでいるということだ。

だから、自分自身に目を向けるとき、変化を恐れる必要はないと思う。
街や人がずっと同じはありえないように、それは自分自身にもあてはまるはずだ。
10年前と同じなんてことはありえない。

変化した後の自分の姿を見て、周りの反応もそれに合わせて変わっていくものだ。

確かに、過去にお付き合いがあった人にとっては、当時のまんまで自分に対する認識が変わっていない。会っていないんだから仕方ないこと。
僕だって、地元の同級生たちに、今の自分をどう説明していいかわからない。

だけど、その変化を楽しんでくれる人たちは必ずいるし、前に進んでいればどんな形だって笑いあえるはず。

だから、「今の自分はどう思われるだろう」と考えるのではなく、「今の自分がどう関わっていこう」と考えるほうは前を向きやすくなるだろう。

まとめると、物事が変化するのは当たり前。
街が変われば人も変わるし、自分だっていつの間にか変わる。
ずっと同じなんてありえない。

だからこそ、前に進んでさえいれば、関係性が途絶えることはない。
前へ行くのみ。

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