もっとシンプルに生きていい

もっとシンプルに生きていい

最近、心がモヤッとすることがある。

僕自身、2019年8月時点で28歳の社会人4年目だけど、たまに会う友達から聞こえてくる言葉がだんだん暗くなっていっていること。

「仕事がつまらない」
「早くやめたい」
「楽しいことなんてない」

年を取るたびに、聞こえてくる回数が増えているような。

また、会話の登場人物が他人になっていっているような気もする。

「〇〇が出世コースに乗っている」
「〇〇があんなことやっているらしい」
「〇〇さんがこう言ってたよ」

それを語るときの目は、生きているわけでもなく死んでいるわけでもなく。
”楽しい”という気持ちとは遠い距離にある言葉たちだ。

僕は、こういう話には基本的に入らないようにしている。
「つまらない話はしない」と敬遠しているわけではなく、こういう言葉が聞こえてくるたびにいちいち悲しい気持ちになってしまっているから。

では、なぜ悲しいのか。
それは、これらを口にする人たちが昔キラキラしていたことを知っているからだ。

僕の周りの人は、みんな僕より輝いている

僕は、基本的に劣等感の塊だ。
小学校中学校のときなんて、「僕が一番かっこ悪い」と思ってたぐらい。

学級委員とか体育委員とかわりと中心人物的なことをやっていたけど、それは多分そうでもしないと存在価値がなくなると思ってたからだ。
(僕のことを昔から知ってくれている人たちこそ「絶対嘘だ」と言うだろうけど、本当に親しい人にはこれを打ち明けたことがある。だから嘘じゃない)

でも、これがいい効果をもたらしてくれた。
皆僕よりすごいと思えた。だから、その人のいいところに気付くのが早かった。
その経験が、今の編集者という仕事にも役立っている気がしなくもない。

また、中学校のときは周囲から”からかわれる”ことが多くなった。
休み時間なんて言葉の戦争が始まるし、物理的な戦争もほぼ毎回の休み時間にあった。
物理的戦争とは、ちょっかいを出してきたやつを追いかけ回したり、座ってたら急に椅子を引かれて、その勢いで廊下を引きずり回されたり。

このとき僕は、「僕に力がないから仕方ない」ぐらいにしか思っていなかった。
それと同時に、僕を追いかけ回したり引きずってきたりするやつらの顔がイキイキしていたことも覚えている。

つまり、やつらは僕を標的にしていたときには輝いていたのだ。

昔の輝きはどこへ行った

それがなんだ。
たまにある同窓会などで、聞こえてくるのは「仕事つまらない」などのネガティブワード。
現在近くに住む友達と会うときも、自分を蔑むような言葉を聞くことも少なくない。

お前ら、どうしちゃったんだよ。
昔あんなに輝いてたのによ。

僕は、その現実にショックを受けているのだ。

僕よりもキラキラ輝いていた人が、まるでしぼんだ風船のように勢いを失っている。
僕よりも自分を持ってた人たちが、いつの間にか自分を持てなくなっている。

昔と違った形でいいから、僕の知っている人たちは輝いていてほしい。
仕事でも趣味でも人間関係でもなんでもいいから、自慢できる何かを教えてほしい。

それができない、もしくはしづらくなっている現状が、僕はなんだかもどかしく感じている。

昔の関係性をなんで捨てなきゃいけないの?

こういう話をすると、決まってこういう意見が飛んでくる。

「昔の人間関係なんてどうでもいい」
「そんなことに時間を使うな」

一理ある。
人間関係で自分は形作られていくので、自分にとって有益な人間関係を求めるのは大切だ。

だけどさ、そんな簡単に人間関係投げ捨てていいの?
昔仲良かったんなら、今も仲良くすればよくない?

今も昔の友達の誘いには絶対乗るし、なるべく多くの人に会いたいと思ってる。
地元と今住む場所が離れすぎててなかなか実現しないけど。

だからこそ、会うたび暗い表情になっていくのを、僕は見てられないんだ。
心の覇気がなくなっていくその様を、僕は敏感に感じ取ってしまうんだ。

でも誰のせいでもない

だけど、よくよく考えてみると、彼らに責任はそんなにない。
そりゃ0%とは言わないけど、「仕事がつまらない」と周りにこぼす人になりたくてなる人はいない。
そして、そうなってしまったのも、多分誰のせいでもない。

その原因を考えていたとき、僕自身も感じている課題を含め、こういう仮説にたどり着いた。

日本で生きるのがハードゲームすぎる。

みんな、頑張って働いていると思うんだ。
自分のため、仲間のため、家族のため。どれもすばらしい。
正直、手を抜いているとは思えない。勤勉な日本人において、それはごく少数の人間だろう。

でも、仕事の中で一向に幸せにならない。
ビジネス、サービスを通じて得られる幸せがあるはずなのに、いつの間にか目の前の仕事をこなすことが目的になってしまっている。

また、確固たる信念や根拠がないまま生まれてしまった仕事も少なくない。
大企業もベンチャー企業も経験した僕だからわかったことだ。

規模が小さいと、意外とノリで決まってしまう仕事も多く、そこで生まれた仕事をするのは大抵決めた人ではない別の人だ。
その別の人にとっては面白くなくとも、決定された仕事だからやらなきゃいけない。でないと売上が出ないし、会社がつぶれてしまうし。

その仕事の目的がわからず、誰に対して愛情を注げる仕事なのかわからず、ただノリに付き合わされるだけで時間が過ぎ去っていく。
そんなことがたびたび起こっているのだ。

そして、ネットニュースやSNSで聞こえてくるのは、筋肉質な言葉たち。

「寝る間も惜しんで努力しろ」
「3年間で売上〇〇億円を達成するためにこれをやった」

勇者の剣を持ったマッチョが横行しているような気さえする。
世の中に生きるのは、そんなマッチョばかりではないのに。

筋肉質なことを言う人はいなくとも、経営体質は実は超筋肉質なんて会社も少なくないだろう。

長くなってしまったが、要するに僕は社会の構造が悪いと思っている。
こんな構造だから皆の笑顔が消えていく、と考えると妙に納得してしまう。

もっとシンプルに生きていい

僕は、人はもっとシンプルに生きられるはずだと思い始めている。
自分の愛するものを、にごりなく愛すること。シンプルにそれでいい。

でも、この国で生きていると、それを邪魔するものが多過ぎる。
売上のため、エゴのために無理やり生み出された仕事、他人の目を気にするあまり生まれる不要なしがらみ。

もううんざりなんだよ。
ただ懸命に生きる人たちの幸せを奪っていることに、社会は早く気付け。

でも、僕は諦めたくない。皆が笑顔を取り戻す日を。
仕事でもプライベートでもなんでもいいから、それぞれ違う輝き方ができる日を。

面白い話を聞かせてくれてたお前、またあの話聞かせてくれよ。
俺にちょっかい出してきたやつら、また相手してやるからちょっかい出してこいよ。

だから、僕はもっとシンプルに生きられる環境をつくっていきたい
幸せを阻害する何かを排除していきたい。

だからと言って、何をすればいいのかわからないけど、こうやって声をあげていくことがそのきっかけになるといいな。
将来的にそういう整理屋みたいな事業をやりたいとも思っているけど、まだまだ先の話。
世の中に発信していって、一人でも賛同してくれる人がいれば嬉しい。

もっとシンプルに生きていいんだよ。
僕だって、もっとシンプルに生きたい。
だから、一緒につくっていこうよ。

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