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一つの"許せないこと"で、たくさんの"良かったこと"をなかったことにしないで

ここ最近、僕から遠くない(近くはない)ところで、ある人や会社に非難が集中しているケースをいくつか目にしました。

僕はこういうのにあまりメンタルを左右されないので、コメントなどを無感情で眺めているのですが、「非難している人の気持ちもわかるし、非難されている側の言いたかった(やりたかった)こともわかる」という見立てです。

たとえば、ある会社がある事業から撤退することになった時、その会社には撤退せざるを得ない事情があるわけだし、その事業に関わっていた人からしたら「急にやめやがって」と文句を言いたくなるのもわかります。

その意思決定をした以上、お互いに対して色々言いたくなるのは仕方ないと思います。


が、その一件だけで目くじらを立てて集中的に非難するのは、あまり気持ちが良くないと思っています。

確かに、一つの"許せない"ことが起こったとしても、それまでたくさん"良かったこと"があったわけじゃないですか。

事業だったら一緒に盛り上げたり売上を立てていったりしただろうし、アーティストのファンはその人たちの曲に何度も救われてきただろうし。

人にはそれぞれいろんな考え方があるので、癪に触ることもそれぞれあるでしょうが、当事者は傷つけたくてやっているわけではありません。

良かれと思ってやったこと、やむを得ず選択したことでボタンのかけ違いが起きた、というだけのことです。

その一瞬の出来事に目くじらを立てるのではなく、それまでたくさん与え合ってきた愛情に感謝したい、と僕は思います。


でも確かに、自分が被害者だと感じてしまうと、相手の悪い部分を指摘してしまうのはわかります。

でも、相手は自分を被害者にしたくて行動しているわけではなく、その時大事にしたいこと、優先せざるを得ないことがズレただけ、だと思うんですよね。

その上で当事者が集中的に非難されるのは気持ちが良くないし、言われて何も言い返さない当事者は大人だな、と僕は思います。

多分、そういうことは言われる覚悟で決めただろうから。


世の中、仕方ないこともたくさんあるんですよ。

自分の意志とは反対に進むことだって、納得できないけど抗えないことだってたくさんあります。

でも、それはほんの一瞬の出来事でしかなくて、その何十倍の良かったことや愛情を感じたことがあるはずです。

それがなかったことになるのはお互いに悲しいし、感謝の気持ちが勝る人たちと一緒に何かをしたい、と思います。


また、仕方ないことは「仕方ない」で済ませられる大人に、少なくとも僕はなりたいと思っています。

許せば進めるし、恨みは立ち止まらす。

自分の人生を、周りの人の人生を前に進めるために必要なのは、自分の正義を守り抜くことではなく、相手の正義を受け入れることではなかろうか。

最近僕の周りで起こっていることから、そう思うようになりました。

もしかしたら、このnoteこそが自分の正義を守り抜くための行為なのかもしれないけど。

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