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「地元」を意識しすぎる必要はない

タイトルの言葉遣いにかなり迷ったのですが、一旦このタイトルでいきます。
選ぶ言葉によってニュアンスがかなり変わる気がしたものの、真意は本文で伝えることにします。


はじめましての人と話すとき、99%の確率で「地元どこですか?」という会話がある気がしています。
もちろん、僕も聞かれますし僕も聞きます。

この会話によってお互いのルーツを知れたり話のネタが増えたりするので、総じていいことです。
人は、生まれ育った街のことを話すときは大体イキイキしている気がします。

が、地元がどうのこうのがあまり意味をなさなくなってきている、とも感じています。
生まれ育った街と今生きている街が一致しないことに特別な意味がなくてもいいし、それらの街が遠く離れていても移動なんて一日で完了するし。

という屁理屈めいたことを書きましたが、ここからは少し具体的なことを書いていきたいと思います。


僕は多拠点居住サービスのコミュニティマネージャーと、他社のシェアハウス運営事業のマーケティング支援をしています。
なので、多拠点居住と定住という相反することに同時に関わっていることになります。

多拠点居住者の中には新しい定住先を探している人もいるし、定住している人の中にも新天地を探している人はいます。
もちろん定住している人の中には、地元とは違う場所で生きている人も多くいます。

これらの例は全部、今や未来の生活を大切にしようとしているからこその行動です。
どこに身を置けば自分自身の価値が最大限発揮されるのか、どこに行けば自分を求めてくれる人がいるのか、を考えるのは非常に前向きなること。

その選択肢に「地元」という選択肢はあっていいと思いますが、仮に地元がそういう場でない場合は脇に置く勇気も必要だと思うんです。
生まれ育った街かどうかより、自分や家族が幸せになれるかどうかの方がよっほど大事だから。


とはいっても、まだまだ地元信仰が強いのも事実で。
これには、ライフスタイルが大きく関わっています。

結婚して、子供ができるタイミングくらいで家を建てて、おじいちゃんおばあちゃんになってもその家に住み続ける。
そして、両親の世話のために子供も地元に戻り、その子供も産まれて同じ街に住むことになる。
これが、僕ら30代くらいまでの世代にとっての当たり前だったように思います。

しかし、ライフスタイルは確実に変化していて。
シェアの文化が少しずつ浸透してきていて、シェアハウスやカーシェアリングなど色々出てきていますよね。
「家族だけで住む」というこれまでの当たり前が「皆で住む」に変わりつつあります。

これが続くと、地元に戻らなければならない理由が減っていく気がしています。
わかりやすい例を言うと、持ち家がない=守るべきものがない、ということ。
仕事や学校もリモート可能なところも増えてきたし、「どこにいるか」がさほど重要じゃなくなってきています。

だから「どこにいたいか」が重要で、「地元」ももちろんその選択肢の一つだけど、地元に引っ張られすぎる必要はないと伝えたいです。
あくまで過去の自分を形成した場所にすぎず、未来の自分にとって最適な場所かどうかは別問題。
そういう「地元」に引っ張られるより、自分が輝ける場所を探した方がいいと思っています。


全国の地域を回ると本当に色んな人に出会います。
熊本出身で今は宮城で活動している人、北海道出身で今は香川で活動している人。
こういう事例をたくさん聞いていると、「地元を意識しすぎる必要ってないよな」と思えます。
その人たちは、過去にとらわれすぎず自分の活動場所を能動的に選んでいるから。

地元が好き、地元に貢献したい人を否定するつもりはさらさらありません。
それも美学の一つです。
ただ、その美学が該当しない人もいるし、地元がフィットしない人も一定数います。
その可能性、違う場所の方が活躍できる可能性があることを意識して生きることも大切だと感じているので、今日はそういうことについて書いてみました。

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