継続できなかったとき、嘆くのではなく「次を楽しむ」
2020年4月1日から、誰に宣言するわけでもなく、目標があったわけでもなかったのですが、毎日noteを書いていました。
52日続き、「自分でもよく続いているなー」と思っていたところ。
しかし、昨日、更新が止まってしまい、記録は52日でストップしてしまいました。
理由は特になく、頭から完全に抜け落ちていただけです。笑
「毎日更新するぞ!」と決めていたわけでもなく、戦略もあったわけでもなく、ただ出てきた言葉を書き記していただけなので、更新が止まってしまったことについては特に意に介していません。
継続できないのは、継続できなかったときの”怖さ”ゆえ
僕に限らず、「毎日○○やるぞ!」という目標を立てる方も多いと思います。
いわゆる継続目標ですね。
でも、実際に続けられる人のほうが少ないのではないでしょうか。
少しやってみたはいいけど、すぐにやめてしまったことも多いはずです。
もちろん僕もそうです。
こういうことが続くと、今度は継続目標が立てられなくなってきます。
なぜなら、継続目標を立てるのが怖くなるから。
そして、その怖さの正体は、継続できなかったときの自分への失望。
「また続けられなかった」と、自分で自分を責めてしまいがちです。
継続できなかった過去は忘れるべし
以下、僕がレポート執筆を担当した記事なのですが、ライターの俵谷龍佑さんは、「継続できなかったとしても気にしないことが大事」だとおっしゃっていました。
習慣化について独自の理論を持っている俵谷さんなのですが、習慣化できなかったことについては、
・忘れる
・原因を追求し、{もしリトライするのであれば)前向きに取り組む
ことを大事にされているそうです。
でも、僕含め多くの人は、継続目標を達成できなかったときは案外ヘコむもの。
「あのときできなかったから、今回もダメなんだろうな」と、自分自身にレッテルを貼ることにつながりかねません。
だからこそ、忘れることが大切なのでしょう。
僕も、全力で忘れにいきたいと思います。
継続できなかったときは、新しいことを始めるチャンス
今まで継続していたことができなかったとき、裏を返せば新しいことを始めるチャンスとも言えます。
たとえば、僕でいうとnoteの執筆に割いていた時間がゴッソリ空くわけですね。
その時間を使って、また別のことに取り組むのも可能になります。
またnoteを書き始める、更新が止まっていたInstagramをまた動かす、運動を始めるなど、何でもいいでしょう。
止まってしまったことを嘆くより、次を楽しむことが自分をより喜ばせられるに違いありません。
このように。継続できなかったことさえもポジティブにとらえて次に進もうと思います。
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