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みんな必ず成長している。だから成長になんて囚われなくていい

求人サイトや、会社説明会などでこんな文言を見たことがあるでしょう。

「弊社は、成長するには最適な環境です!」
「成長意欲のある方をお待ちしています!」

申し訳ないけど、すっごくモヤッとしてしまいます。
僕が学生のときから、編集者として企業の採用活動に寄与する記事を制作している今もなお。

「成長って何?」
「何をもってして成長?」
「何を目的に働けばいいの?」

と、28歳ながら思ってしまいます。
そのくせ、僕自身が部下に成長を求めてしまっていることに、少しみじめさを感じたりもしています。

また、一年前くらいに、こんなnoteを書いていました。

当時も成長という言葉にモヤッとしていて、その言葉を定義できないから、「自分で定義しちゃえばいいんだよ」とある意味開き直って書いた記憶があります。

でも、それから一年たった今、新たな考えが生まれてきました。
成長という概念がそもそも不要なのでは?」と。

成長という言葉に囚われ、息苦しく感じる方も少なくないこの世の中。
そんな人のために、「その必要はないよ」と言ってあげられるような文章を書いていきます。

成長に囚われすぎると幸せが逃げる

直前にも書いているように、多くの人が成長に囚われすぎている気がします。
何が成長なのか正解はないのに、それを探そうとしすぎているような。
それに、定義する必要もないのに、無理に定義しようとしすぎているのかもしれません。一年前の僕みたいに。

見出しに「幸せが逃げる」と書いたのには、大きな意味があります。
それは、成長していないと感じてしまうと人は必ず暗い気持ちになるからです。

わかりやすい例を出します。
大手企業には、「出世コース」と呼ばれる昇格プランがあります。
将来、会社の経営を任せられるような見込みのある人材に、若い段階から英才教育を施すというものです。

これ自体は何も間違っていなくて、会社を経営するためには当然のやり方。
僕は大企業とベンチャー企業両方で働きましたが、どちらでもこのやり方が正だと思います。

問題はここからだ。

飲み会で、必ずこんな話が出ます。

「あいつ、出世コースに乗ったらしいよ」
「まじか、成長したな」

そして、こういう話をするとき、必ず生まれるのが「比較」です。

「俺なんてダメダメだわ」
「全然成長してないわ」

この言葉を、明るい表情で発している人を見たことがありますか?
僕は一度も見たことありません。

そう、これこそが問題なのです。

成長している”とされる”人の存在が生まれたことで、成長していない”とされる”自分が生まれてしまったのです。
つまり、比較して生まれた相対的な成長の差が、成長していない”とされる”側を苦しめてしまっているのです。

出世コースに乗ったのはあくまで社内人事に限った話であって、世の中に対する見え方や人間関係は何も変わらないのに。

また、成長を自分で定義しようとすると、同時に成長していない”とされる”自分の像が浮かび上がってしまいます。
成長した”とされる”自分に達しなかったことが、自分の首を絞めることになります。

要するに、「成長」という言葉を定義しようとした瞬間、その姿を目指そうとした瞬間に、不幸せになる可能性が生まれてしまっているのです。

だから、「成長」なんて言葉はゴミ箱に捨ててしまいたい!

成長の方向は人それぞれ

また、成長なんてそのとらえ方、中身は人によってさまざま。
他人に聞くようなものでもないし、正解も不正解も存在しません。

たとえば、僕は、昨年7月にはじめて編集者という職業に就き、冗談抜きで「編集者って何?」状態でした。
何か伝える仕事がしたいと思って会社に入り、与えられた役割が編集者というだけで、編集者になりたいなんて思ったことはありません。
要するに、ド素人でした。

それが今は、編集長にもなれて、「僕のメディアは、こういうメディアだ」と胸を張って言えるえるようになったし、編集者としての能力も昨年に比べたらウンと向上しているのは間違いありません。

しかし、これを成長と呼ぶことに何の異論もありませんが、この成長を求めていたかどうか、予想していたかどうかと聞かれたら即答で「No」です。
ただただ楽しくやっていただけで、「編集者として成長したい」なんて思ったことがありません。

また、この仕事に就く前のプラントエンジニアをしていた僕から見たら、「お前何やってんだ?」と思うはずです。
プラントエンジニアとして世の中に貢献したいと思っていたのに、巨大な発電プラントではなく薄っぺらいA4の紙に向かっている。
当時定義した方向には全く成長していません。

だから、成長なんてある決まった方向に存在するものではないと言えます。
明後日の方向に進んだって、成長は成長なのです。

前に進むことだけが成長ではないってことですね。

そもそもみんな成長し続けている

僕は、声を大にして言いたい。
そもそもみんな成長し続けているよと。

たとえば、学校のテストで点数が下がったとします。
90点が70点になったとしましょう。
普通なら「点数下がってしまった」「成長していない」と思ってしまうでしょう。

しかし、こうも考えられないですか?
20点分わからないところが増えたとわかった」と。
点数が下がったのではなく、点数が下がったことがわかったということです。

また、仕事でも同様。
結果が出ないことに対し、「全然成長していない」と嘆くのではなく、「この方法では結果が出ないと学んだ」わけです。

だから、何をしたって成長しないなんてありえない。
何かの形で成長しているんです。
それも常に。

だからそもそも成長なんて考えなくていい

話を元に戻します。

「成長意欲のある方をお待ちしております!」と銘打って求人を出すことには何の問題もありません。
しかし、こういう言葉に苦しめられている人が多いのも事実です。

「成長しなきゃいけないの?」
「成長しなかったら失敗なの?」

ここまで読んでくださった方は、もうおわかりでしょう。
そんなことはありません!

だって、何をしたってあなたは成長しています。
どんな形であれ、思わぬ方向に進んだって、間違いなく何かは成長しているのです。

だから、「成長」なんて言葉に囚われて自らの選択肢を狭めたり、幸せから目を逸らす必要なんてありません。
成長は知らない間に勝手についてくるものだし、少々形は違えど何をしたってプレゼントされるものです。

成長していないと感じてしまっているあなたも、必ず成長しているんです。

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