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頑張っている姿が好きならば、頑張れなくなったら嫌いになるのかい?

人と仲良くする理由や一緒にいる理由には様々ある。
「人類皆友達」と公言している人に今のところ会ったことがないので、それぞれにそれぞれの価値基準があって人間関係を選択しているのだろう。

だが、人間関係に理由なんて必要なのだろうか?という疑問も残る。
理由のある人間関係は、それはまた別の何かな気がする。
仕事で付き合いのある人は仕事付き合いの人。

また、この理由がズレると人間関係は解消の一途をたどる。
ただご飯に行って話したいだけなのに、相手が刺激とか情報とかを求めていると、ご飯に行く気が失せるなんてこともあるだろう。
俺は俺であって、俺は情報ではない。

「刺激し合える関係」というのは、確かに大事だ。
そういう存在が、お互いにお互いが見たことのない場所に連れて行ってくれるのだろう。
でも、刺激を理由に付き合う人たちは、刺激がなくなったら離れるのだろうか?
頑張っている姿が好きなら、その人が何らかの理由で頑張れなくなったら嫌いになるのだろうか?

最後に残るのは、「何にもなくなっても、何もできなくなっても、それでも一緒にいてくれる」関係性だと思っている。
何してるかよくわかんないけど、一緒にいたってプラスもマイナスもないけど、「一緒にいたいから一緒にいる」という純粋な気持ちで付き合える人が残る。

頑張っている人も、頑張れなくなる時が来るかもしれない。
そうなった時に離れていく人は、言い方は悪いがそれまでの関係だ。
頑張れなくなった時に、それでも一緒にいてくれる人や気にかけてくれる人がいるからこそ、お互いの人生は豊かであり続ける。
幸い僕はそういう人に何人か出会えているので、今後何が起きても何も起きなくても幸せで居続けられるのだろう。

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