見出し画像

正義には多面性がある

僕は会社員時代から、会社の飲み会にはあんまり行かない人でした。

その名残もあってか、独立した今でも飲みに行くことは年に数回程度です。

お酒や飲み会が好きな人はそれでいいし、夜は運動や勉強をしたい僕みたいな人はそれをしたらいいし、「何を正義とするか」は人によって異なります。


でも、飲み会の場にいると「アイツなんで来ないんだよ」といった言葉をたまに耳にしませんか?

仲間やチームメンバーである人が来ないのは寂しい、という気持ち自体は理解できます。

が、そのアイツが来ないのは「行かないと判断したから」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

飲み会にいる人にはその人たちなりの正義があるし、アイツにはアイツなりの正義があるわけです。

ちなみに、「アイツなんで来ないんだよ」と僕もまあまあ言われてきて、僕の正義を理解してくれたのか、はたまた愛想を尽かしたのか、ほとんど誘われなくなりました。

誘われないことに対して特に何も思わないので、全然いいんですけど。


また、事実は一つだとしても、その事実の捉え方は人によって違うし、その違いは「正義の違い」から来ている、と思うことが最近増えました。

ちょっとわかりづらい例えですが、AさんとBさんの関係性は、Cさん(Aさんの味方寄り)とDさん(Bさんの味方寄り)で見え方が変わってくるわけです。

例えば、AさんがBさんから何か言われたりしている時、Cさんにとっては「Bは何を言っているんだ」と怒るネタになってしまうけど、Dさんにとっては「Aのために言っているんだな」という捉え方をするかもしれません。

また、Cさんは「BはAの敵だ」と思ってしまうかもしれませんが、実はAさんは「Bは最大の味方だ」と思っているかもしれません。


このように、立場が違えば正義は変わってくるし、正義には多面性がある、と言えます。

同じ事実を切り取ったとしても、角度や立場によって浮かび上がってくる正義は違うし、多かれ少なかれ自分の正義には自分のバイアスがかかっているはずです。

だから、他人の正義もちゃんと受け入れて、その上で自分の正義を理解してもらえる関係性を築きたい、と思いました。

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,819件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?