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「ものが余っている」事実に直面した話

ひょんなきっかけで、いわゆる「空き家」にお邪魔させてもらった。
家は所有してるけどもう誰も住んでいなくて、ものを管理するためだけに家に来ているような感じ。

それで、家にあるものをほとんど使わないから、欲しいものがあれば持っていってほしい、という依頼を(知り合いが)受けて、それに便乗して同行した、という形だ。
めちゃくちゃ広い家で、昔は家族で賑やかに暮らしてたんだろうな、と想像できるような家だった。

僕もちょうど家の模様替えをしていたり、お茶関連の活動を始めるところなので、小物入れや茶碗、急須などを譲り受けた。
欲しいと思っていたものを無料でもらえたのは、ラッキーでしかない。
しかも、ものも良いので、丁寧に使えば長く使えそうだ。

これらを陶器屋さんで買おうと思ったら、まあまあな金額はするだろう。
もちろんお店に行ってお金を出して買うことも経済的には大事だが、ここでは「お皿がほしい人」と「お皿を手放したい人」の需要と供給が完全に一致した。
「消費ってなんなんだろう?」と思わざるを得なかった。

また、「こうやってものを余らせてる家も多いんだろうな」という認識が強くなった。
高齢化社会に突入した日本において、大量生産大量消費の時代を経験してきた高齢者の家にはものがたくさん余っているのだろう。
実際、僕の祖父母の家ももので溢れているし、実家ですら皿とか本が大量に眠っている。

これらの資源の存在を掘り起こすだけでも、ニーズはかなり顕在化されるだろう。
というより、余ってるなら誰かが使わないともったいない。
発見が多く、かつ危機感の募ったひとときだった。

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