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「苦手」を克服して何が悪い?

社会人になると、「自分の得意なことをしたほうがいい」「長所を伸ばしたほうがいい」という声をよく聞くと思います。
これに関しては大賛成で、そういう風にお互い支えあって、お互い才能を持ち寄るからこそいい仕事ができるわけですね。

また、この話には、「自分の苦手なことは他人に任せたほうがいい」ということもセットでついてきます。
これまた大賛成で、自分が苦手なことを得意とする人は必ずいるし、やりたい人も必ずいます。

こうやって人は支えあって生きているわけですが、それでもやっぱり僕は「できるできない」「得意不得意」ではなく「やりたいやりたくない」で判断したいと思ったのです。

「できる」は刺激が薄れていく

「できるできない」「得意不得意」を判断するのはすごく重要です。
なぜなら、できること得意なことのほうが周りは計算しやすいし、自分も確実に役に立てるし、みんなハッピーになる確率が上がるからです。

でも、僕はあることに気が付きました。
「できる」「得意」に慣れすぎると、刺激が薄れていくと。
自分ができることは、その後の景色を想像できることとイコールで、それが続いてしまうと同じ景色を見続けることになるのです。

ドライブをしてて、同じ景色が何十kmも続くとさすがにおもしろくないですよね。
景色が移り変わるからこそドライブはおもしろいのです。

仕事もそうで、自分ができる範囲のことばかりをしていると、同じ道を進み続けることになってしまいます。
そうやって、刺激が薄れていってしまうのだと気づきました。

自分の幅を拡げるには「苦手」に挑むしかない

では、自分のできる範囲をどうやって拡げればいいのでしょうか。
それは、「苦手」に挑むほかないと思っています。

僕自身、今でこそ毎日走ったり、読書もほぼ毎日していますが、5年前まで大の苦手な二つでした。
「一生苦手なままで死んでいくのか?」とある種パワフルな思考をして、この二つに挑んだ結果、自分のこだわりを語れるようになったし、何より今の編集者へのトビラはここれ開かれたように感じています。

また、イラストやデザインが本当に苦手で、自分でも笑えるぐらいひどいレベルだったのですが、一年間自分で学んで実践していった結果、仕事で冊子デザインのディレクションをできるようになりました。

このように、自分の新たなトビラを開けるには、「苦手」に挑む必要があるのは確実だと言えます。

「苦手」の克服も一つの喜び

そもそも、「苦手」は悪なのでしょうか?

僕はそうは思いません。
「挑戦できるものが増えた」と捉えています。

「できない」「苦手」があるということは、その先に「できる」「得意」な自分がいるということです。
また、「苦手を克服できた」と感じるとき、何とも言えない達成感で満たされます。

この喜びも追い求めるに値するものでしょう。

だから、「苦手」に出会えたこと、それこそが価値のあることだし、そこに挑戦するのはすばらしいことなのです。

堂々と「苦手」に挑もう

冒頭の話に戻りますが、「自分の得意なことをしたほうがいい」「長所を伸ばしたほうがいい」という意見はもちろん大事です。
皆ハッピーになれるし。

だけど、自分のさらなるハッピーは、「苦手」の中にあることも多いのです。

だから、堂々と「苦手」に挑もう。
絶対に価値があるものだし、絶対自分も周りも裏切らないから。

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