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地球は一つだけど世界は一つじゃない気がするんだ

タイトルだけ見るとスピリチュアルな感じを受けると思いますが、そんなことは全くありません。

結構論理的な内容です。


地球は確かに、この宇宙に一つしかありません。

主に窒素と酸素と二酸化炭素で構成された、海が青々と輝く美しい星は一つしかありませんし、我々はその地球に生を授かって生きています。


しかし、ここで疑問が。

地球=世界なのか?ということ。

ちいさな世界という曲で「世界はせまい 世界はおなじ 世界はまるい ただひとつ」と歌っていますが、それは地球とイコールでいいのか?という疑問が生まれます。

屁理屈なのは理解しているので、興味のある方のみお付き合いください。

そして、「そもそも"世界"って何だ?」という疑問が同時に生まれてきます。

辞書で調べてみたら、かなり摩訶不思議だったので、気になる方はぜひ見てみてください。

このページの7が原義らしく、7にはこう書かれています。

《(梵)lokadhātuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。

「この世の全て」みたいな意味なんですかね?

抽象度が高すぎて逆に意味わからん。


でも、辞書の内容を改めて見てみると、「世界」は人間社会の概念的なまとまりを指しているような気がします。

要するに、地球は物理的な意味で一つしかなくて、世界はそこに住む人間を取りまとめる概念的なもの、ということです。

「社会」が目に見えないように、「世界」も目に見えないわけです。

たまに宇宙から地球を眺めた映像が見れますが、あれは「地球」であって「世界」ではないのです。


こんなことを書いたのには理由があって、それは「世界は一つじゃない、と思った方がいいのでは?」と思うからです。

世界は分離している、とか言いたいのではなく、「自分の常識は他人の非常識だし、自分の非常識は他人の常識である」ことの再認識をしたいのです。

たとえば、SNSで言われていることはSNSユーザーにとっては大事なことだけど、仕事的にSNSをできない人にとっては無関係なこと。

即レスを求めるデスクワーカーと、即レスなんてできるわけがない農家さんとでは、「即レス」に対する考え方も違います。

このように、自分がいる環境や価値観で、見えている世界が人によって違うわけです。

だからこそ、他人に自分の正解を求める必要はないし、他人の正解を自分に当てはめる必要もないのです。

そして、自分が今いる環境で辛い思いをしていても、自分を必要としてくれる環境は必ずあるので、なおのこと「世界は一つじゃない」と思った方がいい、と考えています。


地球は物理的に一つで、世界も概念的には一つかもしれませんが、概念であるがゆえに人それぞれ捉え方が違っていて、ゆえに一つじゃないと言えます。

何言ってるかわからないかもしれませんが、それでいいんです。

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