そんなことが許されるんか⁉️

先日
スクールの子どもたちと歩いていると
先を歩く子どもたちに
通りすがりのおじいさんが
子どもたちに話しかけているのが
きこえてきました。

「今日は遠足か?学校は?」
とか聞かれたのだと思います。
子どもたちは
「学校休んで来てる。」
と答えてました。

するとおじいさんは
「学校休んで?
 そんなことが許されるんか?」
と、怪訝な顔をされてました。

そこで私がおじいさんのところまできたので
私が答えることに。
「学校は行きにくい子だとか。
 行けない子。
 合わない子どもが来ているんですよ。」

すると、おじいさんは。
「あぁ、それは先生。
 大変ですね。
 ご苦労様です。」
と言われました。

納得された様子のおじいさん。
だけど、私は。
決して
大変ではない。

おじいさんの認識はきっと。
学校は休んでは行けないところ。
不登校児は問題児。
なのでしょう。

私はというと
学校は合わなければ休めばいい。
学校は問題だらけ。
なのです。


いろんな子どもがいてあたりまえで
合わない子どももいる。
教師はすごい権力者で、力で無理矢理にでも合わせてきたのは昔の話で。
今は不適応を起こす子どもは不登校以外にもいっぱいある。

立ち歩き、暴言、暴力。
無気力。
勉強ができない。
いじめ。
学級崩壊。

こう言ったことをちゃんと解決できるシステムや体制が学校にあれば、それでもいいかもしれない。

だけど。
小さな問題のころに解決できないから
ここまで大変なことになっているのだし。
行き着く先は
先生が休職。
子どもが転校。
裁判になる事例もあるし。
命を落とす事態にまでなっているのは事実。

いい学校ももちろんあるし。
素晴らしい先生もたくさんいる。
私だって奮闘してきました。
でも、公立学校は
自分では変えられないものが
たくさんたくさんありました。

学校は選べない。
たまたま行った学校が
偶然に決まったそのクラスが
どんなものかは毎日通う子どもじゃなきゃ
わからないのです。

先日聞いた話では
学校がとても荒れていて
問題児とされた子どもは転校
一度に11人ほど先生がいなくなったと。。

そんなことにまではなってなくても。

学校はいまだに
座ってただ話を聞く時間が長いのが基本だし。
40人学級は変わらない。
聞かなければならないけど
聞いてもらえる時間は少ないのです。

近年、発達障害と言われる子がものすごく増えました。
その理由は、学校にあると思っています。

そもそも
少人数で
ちゃんと聞いてもらえて
いろんな在り方が認められる場であるならば
発達特性があろうがなかろうが
関係ないからです。


どんなあなたでもいいよ。
一緒にやりたいことをやってみようよ。

そういう場づくりをしています。


バスで出会った年配の女性に
「学校に行けない子たちの場所を開いています。」
と言うこと、
「それは素晴らしい取り組みをしておられますね。」
と言われました。

支援というと
困ってる人を支えるみたいになる。
マイノリティをマイノリティとして
捉えるのではなく。
全体の中の一部分として捉える。

私はあるものをそのまま
あるべき形でおきたいだけで。
それは支援とはちょっと違うのだけど。

年配の方々にそのあたりの
ニュアンスの違いまではもちろん
説明しないです。

場づくりをする上では
その土地をこれまで守ってこられた方々に
理解していただくことは
非常に大事なので。

受けとってもらいやすい形で
話すのがいいと思っています。


また、新たに場所づくりがスタートします。

これは私のほんとにやりたかったこと。

嬉しくってワクワク

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