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社交性に長け、大人びた子ども

父は家をあけることが多かった。

妻と死別し、会社を畳み、生活保護の世話になっていた父。
社会との繋がりを失い取り残された寂しさを飲みに出かけることで埋めているようだった。

昼間から営業している酒場に入り浸り、日が沈めばその足でスナックへ。
流石の九州男児。やたらと酒に強かった父は飲み始めると長かった。
酒を煽れば煽るほど調子が良くなりフットワークが軽くなる。

あたりが暗くなり、寂しさでいっぱいの私。

テレビは嫌いだった。

画面に映るひとは皆笑っていた。楽しそうだった。
番組がひとつ終わるたびに置いて行かれるような気持ちになった。

帰ってこなかったらどうしよう
お部屋が綺麗にできないから、お勉強ができないから
捨てられてしまったのかもしれない

父はいつも黙って出て行ってしまうから、
いつ出たのかも分からないし、何処に行ったのかも分からない。
そして、いつ帰るのかも分からないのだ。

2人暮らしには広すぎる3LDKの家で、私はひとりいつまでも父の帰りを待っていた。

そんな家庭に育った私だが、環境とは真逆に
よく話し、よく笑う、大人受けの良い子供だった。
誰に対しても物怖じせず、初対面の相手にも平気で声をかけることができた。

何故なのか。

当時の心境を文字に起こそう。

私はいつも探していた、その場にいる人の中から選ぶ”相手をしてくれそうな大人”

ある時は、公園で子どもを遊ばせている母親。
話をすれば「いい子だね、偉いね」とたくさん褒めてもらえたし、そのままお家にお邪魔するのも得意だった。
他人のお家は綺麗だった。私のお家と違って、なんだか色が沢山あった。
出してくれた清潔なグラスに注がれたただの麦茶が本当に美味しくて、かぽかぽと音を立て鼻の下を濡らしながら一気に飲み干した。

ある時は、自営の印刷屋さん。
繁盛しているとはお世辞にも言えない薄暗い事務所で、おじさんがひとり仕事をしていた。
お客さんが来るでもない、たまに電話が鳴っていたかな?といったくらい。
クルクル回る椅子に座って私の話をたくさん聞いてくれたし、いつまで居ても「帰れ」と言わなかった。

ある時は、穴の空いた服を着たホームレスのおじさん。
公共の広場にある青くて歪な形の家、そこで寝ているようだった。
「おいちゃん来たよ!」と声をかけると、歯が抜けてすすけた顔で笑ってくれた。
自分も困っているだろうに、私が来るとパンやお菓子を分けてくれた。

私が”社交性に長け、大人びた子ども”だったのは、持って生まれた性格でもなければ、そう望まれた結果でもなかった。
反応してくれそうな大人を見つけては手あたり次第に声をかけ、同情で気を惹き、家庭で得られない愛情を外に求める。その結果だった。

ただひとつ、私の中にはルールがあった。

”ひとりの大人に依存しないこと”

皆それぞれ守るものがあって、そこに私の居場所はない。
どんなに可愛がられても、どんなに同情されても、自分が一番になれないことを肌で知っていた。

私にとって、特定の大人に愛情の供給を絞るということはイコール死だった。
他人から僅か恵まれる欠片のような愛情のおこぼれを拾い必死にかき集めながら息をした。

どうせ私を一番にはしてくれない、誰も私をそこには置いてくれない。守ってはくれない。

ならば私もそれなりに適応しよう。

それは、自らを守るために誰も信用しない、誰も愛さないという決意だったのだ。

時が経ち、私は“大人びた子供”から“ただの大人”になった。
誰とでも仲良くなれる社交性はスキルとして身になったが、いまだに過去の自分自身が足枷になっている。

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