『動物農場』──権力の暴走を見逃した動物たちが向かう先
1945年に刊行されたジョージ・オーウェルの小説『動物農場』を読んだ。本文が150ページちょっとしかないのに、短編小説とは思えない内容の濃密さ。読み進めるごとに真綿で首を絞められていくような苦しさがある。ハヤカワepi文庫の訳はおとぎばなし風な文体で、寓話的な内容に合っていた。
あらすじ
農場の動物たちは、横暴な農場主であるジョーンズに対して反乱を起こす。彼らは、人間を追い出して「動物農場」を設立し、全ての動物が平等であるという理念のもと農場の運営を始めた。しかし、頭の良いブタが徐々にみずからの権利を拡大していき──。
感想
独裁というのは、どこかのタイミングで手をパンッと叩いて急に切り替わるのではなく、ゆっくりと進行していくものだというのが身に迫って伝わる。本作での独裁の一歩目は、果樹園のリンゴとミルクはブタのみが食べられるという決定が下されたことだった。ブタは一番頭がよく、農場の組織と管理は自分たちにしかできないから、健康維持のためにより多くの栄養を摂らなければいけない、という理由だ。他の動物たちは、違和感は感じたものの、理屈を並べられるともっともらしく感じて反論できなかった。さらに、動物農場の運営に失敗して人間が戻ってくるよりは、ブタたちにリンゴとミルクを渡してしまう方がマシに思えた。
ブタの特権的な行動はエスカレートし、ついには一匹のブタによる恐怖政治が始まる。もちろん、最初に掲げた「あらゆる動物は平等である」という理念をゆがめて、他の動物を搾取するブタは極悪極まりない。しかし独裁にはスタート地点があり、権力の暴走に対して何もしなかった動物たちがいる。本作では、独裁的な支配構造のヤバさだけではなく、支配される側が声を上げないことにも批判的な視線を投げかける。
リンゴとミルクをブタだけのものにしようとしたときになら、強く抗議をすればブタの行動を変えることができただろう。少しづつ歪められていく事実を目の前にして疑問の声を上げずに、「ブタが言うならそうなのだろう」と考えるのをやめてしまった。
例えば、ロバはブタと同じくらい頭が良い動物で、このままブタの特権的な行動を許せばなにが起こるかが分かっていた。しかし、ロバはシニカルな態度を崩さなかった。つねに冷笑的で、見て見ぬふりを続けたことがロバにとって辛いある出来事にもつながる。そうして権力が少しづつ幅を広げていくのを許しているうちに、簡単には変えられない独裁体制が完成してしまう。
本作は、1945年当時のイギリスでは暗黙的にタブー視されていた、ロシア革命とソ連の社会主義に対する批判を下敷きとして書かれた。しかし、今読んでもどこかしら現代の社会と重ねられるところがあって古びていない。色んな読み方ができる作品だ。
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