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[玉造温泉街再生秘話㉛] 病に伏す

いつもご覧いただきありがとうございます!

今回はまちづくりのお話でないのですが…

最終的に角さんが観光協会を卒業する理由にもつながるお話です。

ちょっと重たい話を軽ーーーく

包み隠さずお話をします♪

何卒お付き合いくださいますようお願いいたします。


体調不良

2017年 3月

観光協会に勤めて丸10年が経ちました。

周藤さんと一緒に楽しく仕事をして10年。

多くの仲間も出来ました。

玉造温泉街の賑わいも定着しているように感じます。


「まだまだ!これからだ!」


ますます仕事を詰め込む角さんです。

観光協会、まちデコに加え、地域おこし協力隊事業、松江市の活性化、八百万マーケットのopenの手伝いなどに入れ込む日々。

気付かぬうちに身体と心に負担をかけていました。

3月25日ごろから

ちょっとした風邪のような症状が少し続きました。


4月6日 木曜の夜 

温泉街は桜が満開となり見ごろを迎えました。

角さんといえば、回復したと思った身体に異変が起こります。

角「なんか…さ、なんだろう…この感じ」

妻「どうしたの?」

角「いや…なんかさ、足がヒリヒリして、皮膚が痛いんだ」

角「日焼けしたときのあの感じ。服がすれて痛いんだ」

妻「無理しすぎるからだよ。明日朝から病院に行きなよ」

角「ありがとう。そうする」

とても不思議な皮膚の痛みです。

そしてもうひとつ… 

トイレに行ってもおしっこが出ないのです。

〔補足〕以前、帯状疱疹という病気にかかったことがありました。痛みの感じが似ていたので再発したかー…まぁまたすぐ治るか。と簡単に考えておりました。


翌朝。

2017年 4月7日 金曜日 朝6時

起きてトイレに行きましたが、やはりおしっこが出ません。

太もも辺りのヒリヒリも変わりません。

先に起きていた妻に

「朝イチでかかりつけのお医者さんに行ってくる」

と言い残して、自ら車を運転して10分ほどの病院に行きました。


朝9時

無理を言って先生に診ていただきます。

かかりつけの病院は内科です。

皮膚病はあまりお詳しくないようです。

角「なんか以前かかった帯状疱疹に痛みが似てるんですよ」

先生「うーん…でも帯状疱疹じゃないような気もするけどなぁ」

先生「知り合いの開業医で皮膚科も紹介できるんだけど、念のために総合病院を紹介するからね」

先生のこの判断が、後にとんでもないファインプレーとなります。


さて、紹介された総合病院はさらに車で5分。

自分で運転して行きました。

ところが、総合病院に着く頃には、下半身が重くなってきます。

角(なんかしんどくなってきた…)


9時45分

総合病院に到着

駐車場に車を停めて、玄関まで歩いて…行こうにも…

足がうまく前に出ません。

角(なんだこれは… 歩くのもままならなくなってきた)


足をひきずるように玄関にたどり着くと、

受付にいた看護師さんが飛んできました。

看護師さん「大丈夫ですか?」

角「いやーなんか足が重くなっちゃって(笑)」

看護師さん「ちょっと急いで車椅子を準備します」

角「いやいやいや、そんな、大げさな」

看護師さん「いえ、少しでも楽になると思いますので」

角(なんと、大げさなことになってきたぞ…)

人生で初めて病人として車椅子に乗りました。

待合所で待つこと10分 どんどんと全身がだるくなってきました。


分単位で悪化

車いすに座りながら ぐったりしている姿に看護師さんが心配してくれます。

そのおかげなのか、割とすぐ皮膚科の先生に呼ばれて診察が始まりました。

診察開始後、すぐに言われました。

皮膚科の先生「これは帯状疱疹じゃないですね」

角「…え? あぁ…そうなんですか」

皮膚科の先生「たぶん神経系の疾患じゃないかな?すぐに連絡しますので」

角(へぇ… 帯状疱疹じゃないのか)

まだのんきに構えています。

そして、神経内科へすぐに回されます。

先生「角さん! 角さん! 大丈夫ですか??」

角「いや、ちょっとだるいけど全然大丈夫ですよ」

と自分では言っているつもりですが、ちゃんと言えてなかったようです。

顔色もかなり悪く、ぐったりしてきています。

先生「これは…もしかして…」

角「?」

先生「角さん、至急検査の準備をします」

先生「血液検査とCT、あとMRIも取ります」

角「あの…先生…  実は昨夜からおしっこが出なくて…」

先生「え?昨夜から?」

現場はどんどん慌ただしくなります。

対照的に静かにぐったりしていく角さん。

その場でトイレに連れていかれますが、やっぱり出ません。

直接管を入れて強制的に出すこととなりました。

すると

なんと900mⅬも…出てきたそうです。←検尿カップだと4杯分!

先生も「900ml? 900mlですか?」と2度聞きするほどの量だったそうです。

もう少しで膀胱が破裂してとんでもない事になるところでした。


診察室奥の仮の寝台ベッドで検査まで待機です。

いよいよ身体が思うように動かなくなりました。

でもまだ楽観的に考えておりました。

来週の仕事どうしようかなー…なんて考えておりました。

すると看護師さんから

「角さん!大丈夫?電話できる?奥さまに連絡をしてほしいですが。」

は? なぜですか?

MRI検査をするのにサインが必要、と言われました。
※実際は違う理由だったのを心配かけないように配慮くださった…のかもしれません。

妻に電話するも身体が辛く「アウアウアー」ってお話してたそうです。

妻にしてみたら、かかりつけの病院に行ったまま連絡が無く

嫌な予感がしていたら…まさか…総合病院にいる夫からの呼び出しです。


13時30分

妻は1日分の入院準備を持って、まだ幼い娘を抱えて急いで病院に到着。

その間、角さんは血液検査や背骨の髄液の検査などが始まっていて面会できません。

妻(なに? どうなっているの?)

不安の中、先生と面会となります。

先生から状況について色々と聞かれたそうです。

「風邪の症状はいつからですか?」

「奥様やお子さんは大丈夫ですか?」

質問され、その時に

「入院は決定です」と告げられ、あまりの急展開に理解が追い付かぬ状況だったそう。


妻「入院は1週間くらいかな…1日分しか持ってこなかった」

などと考えていて、一旦家に帰ろうと思ったら、看護師さんから

「もうしばらくこちらでお待ちください」

結果、待合で2時間待たされます。


もうすぐ2歳の娘もお昼寝の時間に慣れない病院、しかも父の異変を察してグズります。

そんな娘を抱いた妻は看護師さんに励まされたそうです。

「大丈夫よ。若いからリハビリすれば大丈夫だから」

え? リハビリすれば…大丈夫? 

さっきまでそんな話は一言も無かったのでいきなりリハビリと言われ

「これは、1週間の入院どころの話ではないかも…」

妻は察したそうです。


そして、CT、MRI

すべての検査が終わったのが18時頃。

検査後に妻は角さんにようやく面会させてもらえました。

ベットに横たわる角さん。

あまりの姿に絶句…

娘は号泣…

目はうつろ、顔は土色、全身動かない、38.8の発熱、意識も朦朧。

妻はあわてて角さんの会社と観光協会へ連絡し、しばらく入院と伝えてくれました。

半分朦朧としている角さんに聞いて、会社ではできない仕事はすべてキャンセルを入れてくれました。

そのまま付き添いをしたい妻。

しかし、1歳10カ月の娘を家に1人にはできない。

仕方なく帰る決断をしたときに病名が確定しました。


先生「急性脊髄炎(ADEM)です」


奇跡的な回復

検査結果から、急性脊髄炎は ほぼ間違いないだろうという事でした。

妻には『すぐに治療を始めましょう』と言われたそうです。

病院到着から点滴で薬を体内に投与する方法で治療が始まりました。

その時はもう意識も朦朧としていて、高熱で汗だくでした。

病棟の準集中治療室(ナースセンターから一番近いところ)に入院です。

意識が半分飛んでいて寝ている状態でしたので辛くはなかったように思います。

角さんと言えばそんな状態なのに

「来週の仕事はキャンセルかぁ… 1週間くらいで退院かなぁ」

とのんきに意識朦朧としていたように覚えております。


翌日 4月8日 土曜日

妻が長期入院の準備をして病院へ来ました。

娘も一緒です。

先生から話を聞くと「回復傾向にあります」言われ少し安心したそうです。

先生は、正直なところ、今日まではもっと悪化するという予想だったそうです。

意識が無くなるくらいになるし、最悪のケースも少ない確率ながらあるかも、と予想していたら、意外なことに回復していきました。

面会すると、確かにちょっと顔色も明るくなり、ゆっくりとしゃべっていたそうです。


妻(よかった…)

安心するも

先生「まだ安心はできません。お子さんから菌が入ると危ないのでなるべく病院には連れてこないようにお願いします」と告げられます。

妻(そんなこと言われても…)

途方に暮れる妻です

そうなのです。

急性脊髄炎は菌による悪化が怖いそうです。

回復するまではなるべく連れてこれない…

結果、妻もあまり来れないという状況だったそうです。

角さんの車はどうなったの?

会社の大北が駆けつけてきてくれて持って帰ってくれたそうです。←マジ頼りになるありがとう!


4月9日 日曜日

早めの治療の結果、状況が好転します。

意識もはっきりとしてきて、食欲も出てきます。

身体のだるさも無くなりました。熱が下がったのでしょう。

看護師さんも先生もちょっと驚いておられます。

すでに角さんは冗談を言いはじめております。

スマホが自分で打てるようになりました。
※昨日までは指が震えて打てなかった

妻から「状況をFacebookで報告したほうがいいよ。」とアドバイス。←ナイスアドバイス。

たしかに!

全く知らない人から会社や観光協会に連絡が入っても迷惑になるね、ということで病状を発信しました。

入院3日目にして回復傾向にあるので「心配ないぜ!」的な投稿をしました。

そして、翌日には準集中治療室から一般病棟へ移動が決まりました。


4月10日

気分はすっかり良くなった角さんですが…

なぜか足が上手く動きません。

全く歩けない。

歩けないどころか立てない。

体重を支える事が出来ないような感覚です。

そんな中でも

「なんじゃこりゃーーー」とふざけた物まねをしたり、

看護師さんに
「今日生まれた子牛と僕とどっちが立つの早いですかね?」と
くだらない冗談を言って困らせる角さんです。

治療は順調ですが、下半身の神経麻痺が深刻でした。

この日からリハビリがはじまります。

もう意識はバッチリ回復! 

まだ入院3日なのに気分も上々の角さんは ようやく先生から病状説明を受けます。

この先生が割と淡々と無感情で説明するのですが…

〔説明の概要〕
☑ 急性脊髄炎(ADEM)という病気
☑ 背骨の中の髄液に白血球が間違って入ったと思われる
☑ その白血球が背骨の中で大活躍してしまった。いわばオウンゴール。
☑ 治療は順調、再発もほぼないので安心ください
☑ ただし、神経麻痺がみられるので1カ月はリハビリが必要

慣れない医療用語を『ほえーーーっ』と聞きながら…
先生のオウンゴールの例えがめっちゃ下手だな、と思っていました。←先生ごめなさい!


そのあと、慰めのように

先生「子供がなりやすい病気なんですが、大人になって発症するのは20万人に4人くらいと言われてまして…」とのことです。

「分数の例えも下手だな…」と思ってました。←先生マジごめんなさい


そして、先生から

「実は金曜の朝早いうちに来てもらえた事が良かったんです」

「もし来られるのがもうちょっと遅かったら危なかったんです」

「金曜日だったので17時をまわるとMRIなどの検査が出来ないんですよ」

「土日も検査がストップするので月曜まで検査を待つことになります」

「もし来られるのが金曜の15時とか夕方くらいになっていたら、たぶん、原因がはっきりしない重篤患者が来た、が、検査ができない…となっていたかもしれません」

「そうなると治療もできないので、もっと悪化していたと思います」

「最悪、後遺症もあったかもしれませんが、まあラッキーでしたね」

と、軽く言われました。←ほぼ無感情の先生。


なんと…

とてもありがたいと思いました。


そうです!


あの時です!


あさイチで診ていただいた かかりつけの先生です!

先生が皮膚科の開業医を紹介していたら…

もしかしたら今頃はもっとひどい状態だったのかも…

なんてラッキーなんだ。

ありがたい。

ありがとうございます。

かかりつけのお医者さんも、総合病院の皮膚科の先生も、神経内科の先生も、全ての方が間違えなかったから、こうしていられるんだ…

そして、妻や会社のみんながフォローしてくれて、こうしていられるんだ。

本当に運が良かった。

人に支えられていることに感謝しました。

そんな角さんはこの後、さらに奇跡的な回復を見せるのです。


第32話 へつづく


最後までご覧いただきありがとうございました。

まちづくりには関係ない個人的な病気のことを書くのはちょっとためらいました。

でも、この病気が観光協会の卒業の理由のひとつになっていきます。

さて、卒業まであと2年半(あと4話)です。

次回もお楽しみくださいね~


第32話 アイデアの枯渇 はコチラから




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