真剣に人生の問いに対して応え続けている人 (2024.11.11〜11.17)
11.11(月)
疲労感が強く、1日家から出なかった。
紅茶を飲んでほっとする。ずっとコーヒー派だったが、最近紅茶の良さに遅ればせながら気が付いた。かわいいティーカップセットが欲しくなる。
思うところがあって、SNSと距離を置こうかなという気持ち。このnoteの日記も好きで書いているけど、もっとささやかなものにしていくかもしれない。
11.12(火)
読書を通じて知り合った方と、横浜のカフェで本を持ち寄ってお茶をした。リュックにぎゅうぎゅうに沢山のオススメ本を持ってきて下さり、どの本も惹かれるもので素敵だった。会話があらゆるところに広がり、時間があっという間に過ぎた。
真剣に人生の問いに対して応え続けている人、の言葉には重みがある。とても楽しかった。
11.13(水)
午後に近所のカフェへ。少しずつ読み進めていた『ないものとされた世代のわたしたち』(著:熊代亨) を読了する。
氷河期世代とは何だったのか。この50年はどういう時代で、なぜいまの日本になっているのか。私は平成生まれで、95年くらいからは記憶にある。70年代はまだ途上国の面影があったというのが意外だった。80年代のきらびやかさと90年代の異質さ。そして2000年代、2010年代、2020年代という移り変わり。時代は常に予測できない方向へ向かっている。現代社会はエコチェンバー化し「嘘を嘘と見抜けない時代」になった、と。それぞれが分断された小さな物語の中で生きる社会。これからはどんな時代になっていくのだろう。
11.14(木)
物置と化して散らかり放題の書斎の整理をした。引っ越してから1年放置していた段ボール3箱をやっと潰すことができた。
むかし父から貰った、ただ新幹線のチケットを送ってもらっただけの手紙が出てくる。そんな何でもないものがなぜか捨てられない。父から貰ったものはどれも捨てられない。一緒に暮らした記憶がないことの反動だと思っている。
メイ・サートンの詩集『一日一日が旅だから』を読了する。
“八十年の生涯を
どんなにたっぷり生きてきたか
思えばめまいをおぼえるほど
追憶はあまさず心に生きている”
“時間と辛苦と勝利をぬって
八十年かけて私が何になるか
どうやってそうなるかを学ぶために”
好きな一節。年を取ることが素敵に思える、素晴らしい詩だ。
11.15(金)
就労移行支援の施設見学に行く。就労移行支援とは、障害者の就労をサポートしてくれる施設だ。訓練プログラムなどもある。うつ病で現状一般的な就労は難しいので、在宅で時短でできる仕事に就きたい。ただ、スキルを何も持っていない。等々相談すると、私の希望で働ける道は無いことはないらしい。何事もプロに相談してみるものだ。来週またべつの施設に見学に行く予定。今後の行く先が少し見えたようでほっとする。誰もがどこに向かっているかもわからない舟を漕いでいるのは同じだ。焦らず。ゆっくり。
11.16(土)
目覚めから偏頭痛。薬を飲んで二度寝。
午後に買い物へ。すぐに疲れてしまう。
夕食は回転寿司。寿司で一番好きなネタは、どれを食べてみても結局納豆巻きだ。安上がりで良いなと自分でも思う。あら汁も美味しかった。お味噌汁と納豆を食べるたび日本人で良かったとしみじみ思う。
帰りに寄ったコンビニに「せちお」という貼り紙が。
おせちだな?店員さん疲れてんのかな?と思いつつ店内に入ると、店員さんが外国の方だった。そういうことか。面白くてそのままにしてしまったけれど、「あの…逆ですよ」と教えてあげても良かったかもしれない。だけれど、たぶん伝わるし、クスッと笑えて害がないし、良いか。
※追記:後日通りかかると「おせち」に直っていました。
11.17(日)
外が暖かすぎてビビる。11月なのにお店には冷房が入っていた。どうなってんだ。
パートナーが調べ物があると言うので図書館へ。その後宮ヶ瀬へドライブに行く。暖かい秋だが、葉っぱは確実に色付き始めていてきれい。
明日気の重い用事があり夕方から不穏。
昔はやろうと思えば何でもできた。今思えばそれも良くなかったんだろう。今は何もできなくなった。ストレス耐性が弱く、嫌なことはごっそり気力も体力も削がれて寝込んでしまう。寝込んでいるとき生きていることが何もかも嫌になる。
明日が終わったら、めいっぱい自分を労おう。