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【頭が良い!の認識は何を指すか考えてみる】

あなたにとっての『頭がいい人』とは、どのような人に当てはまりますか?

たぶん『勉強ができる人』だったり『仕事ができる人』だったり『革命的なアイデアを生み出せる人』だったりと、人が考える『頭が良い』と認識するのは。どこか、何かが出来る人。

では何を基準にして、この人は出来る人だと、僕達は判断しているのか。それはもっともっと根本的な部分。

それは『普通の人と比べて』が前提となっているんだと思う。

勉強なんて一番わかりやすくて、学生の勉強で例えるなら。クラスで受けさせられるテスト。各々の実力が数値化されて、平均点を割り出す。平均点よりも、個人のテストの点数が良かった人を見た時、

「アイツはきっと人よりも勉強が出来る、頭のいい奴だ」って認識になると思う。

仕事だってそうであって。仕事の出来る人間。プロジェクトを引っ張るようなリーダー的存在。人よりも出来てしまう『頭が良い人』は誰よりも早く出世し、頭角を表す。

言わなくても分かると思うが。アイデアの天才は、凡人が考えないような発明を世に送り出す。天才が考えた発明は、僕達凡人が扱えるように簡単になる。

昔からよくある流れだと思う。社会的に用意された環境の中。環境に適したものが、この世の中を制する。この世の中にマッチしない人間は生きづらさを感じるだろう。

少し話を戻して『頭が良い』とされる人の正体とは、人と比べた結果。比べた上で、普通の人、平均よりも出来てしまうから、頭が良いと評価される。

では、比べる対象が何もない状態で頭が良いとは存在するのか?どれほどの天才で『頭が良い』とされる人でも、この地球上で人類最後の一人になった時。その人の評価を考えてみて欲しい。

きっとその人は『世界で一番頭が良い人』であって、それと同時に『世界で一番頭が悪い人』とされる。

どう言う事かと言うと、その地球に一人しか存在していないのならば。何をもって賢いと言えるのか。比べる物差しが無い。所詮『頭が良い』とされる評価は、人々、各々が存在ことによって成立する。

上に立つものは、下に立つものがいなくては成立しないと僕は思う。もしも『出来ない人』がこの世の中から、一人残らず消えたとしよう。

でも、世界は『出来る人』だらけの平和な世界にはならない。次に出来ない人になるものは、今まで『普通くらいに出来てしまっていた人』たちで、順番待ちだ。

営業の成績だとわかりやすい。
今月一番売り上げ成績の低かったものが退職したところで。来月一番売り上げ成績の低いものが生まれない、そんな訳がない。

『頭が良い』と評価すると言う事は、絶対的に『他者と比較』して判断される事だ。対人で比べた中で、ただ人より出来るという評価で、その人の実力を測る。

そもそも、なぜ僕達が『比べる』と言う行為が始まったのか?それはたぶん『動物的本能』競争していかなければ、自然界では勝ち抜いていけなかったから。

「ホライモリ」って動物を知っているだろうか?洞窟の中で7年も動かずに、12年に1回しか交尾しない生き物。
どうしてそうなったのか。ホライモリの住む洞窟の中には天敵がいない為。危機感を持たなくなってしまったから。

僕達に備え付けられた『動物的本能』は、きっと過去に生きるために備え付けられた無意識的な行動。比べてしまうのは仕方がないと思う。

ただ、僕達には『理性』があって、『動物的本能』を抑える機能だって備わっている。

話が脱線してしまったから戻そう。

『頭が良い』の評価は、実力を、実績を出したものに与えられる評価であると僕は思う。

世の中は面白い。他者との比較を無意識に使いがちな人間だから、人よりも少し出来るだけで『頭が良い』とは思い込まない方がいい。それは、自惚れてしまっている自分、客観的能力が欠けている自分を曝け出すだけだ。

自分が『頭が良い』と思い込むよりも、頭が良くなるように頑張った方がいい。決して無駄にはならないから。

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