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【不自然にモテる人】

興味が無い異性に対して"思わせぶり"をする人がいたりする。思わせぶりが出来る人を見て、なぜ、その行為が出来るのか疑問に思った。

興味のない相手に対する。何気ないボディタッチや、軽率に発する「好き」の言葉。一般的に言えば"普通ならそんな事しない行い"だと僕は感じている。僕はわざわざ他人に思わせぶりなどしない。そもそも、逆に、興味のない僕からのボディタッチに、相手からの嫌悪を表されたら僕が傷つく事も分かっている。

思わせぶりが出来る人って、自分に自信のある人だと思う。容姿が良い人ほど他人との距離が近かったりする。「それ必要?」と感じる程度には、友達の一線を、少しだけ超えている感覚。その癖して、その異性には興味が無い、ただ当然のように行えている。

むしろ、興味があるのは。そんな"思わせぶりをしている自分"に対してなのだろうか?と感じさせられてしまうが。

「この人と付き合いたい」と思えるのなら。思わせぶりは好意の表現的、技術として、意識させる。そんな必要があるとも言えそうだが。どうにも、好きでもない相手に、誰に対しても、思わせぶりなんかしてしまう人がいると、それ必要あるのかな?とやはり感じる。

無自覚で行っているのか、故意的に行っている思わせぶりなのか知らないが。当然、思わせぶりを受けた側から好意を持たれて、告白されたとしても、振る。そんな人を見かけると。無自覚で行っていても、故意的で行っていたとしても、他人を傷つけていることには変わりはない。

故意的に"思わせぶり"を行っている人には、確かに悪徳感がある。承認欲求的な、何かから来る思わせぶりなのだと理解できる。そうやって、誰かからの好意を感じる事で自分の幸福を満たし、味わい。わざわざ面倒事を起こして、まるで自分の価値を確かめる人だと言える。

ただ、無自覚で"思わせぶり"を行う人には反省の色がない事に対して、悪徳感が湧く。正直に言えば、自分の行いに対して自覚すらも無く、全く気が付いてもおらず、人を惑わすだけ惑わしてなお、自ら拒絶する。自覚症状の無いタイプの思わせぶりな人って、無責任で悪徳感がある。

思わせぶりを起こす事が、誰も損をしない構造であるならまだ良い。だが、人の感情を動かし、傷つく必要の無い人にまで悪影響を及ぼし、損させている。大体そうやって思わせぶりをした人は「自分は、普通に接していただけなのに」と、自分の責任よりも"好意を持った相手側にも責任がある"とまるで責任逃れな発言をしたりする。

無自覚な人は、その異常な接し方が、普通だと認識しているから。無自覚にモテる。

自覚症状があるのなら改善の余地がありそうだが。"自分は、普通の接し方をしてる"のだと自覚症状のない人間が一番厄介だ。改善の余地もないまま、今後も本意でもない、下手な距離感を続けて、受け取る側に錯覚を起こさせる事に繋がる。

人は"モテたい"と言う感情は、どうしても湧いてしまうのだろう。だから故意的な思わせぶり常連者には"モテたい"から行える行為だと、分かりやすいが。

無自覚な人は"モテている"の結果しか見えていない。一線を越えようとする異性は切り落とすしか無くなる、無自覚な人は異性との交友関係は無自覚にも続かない。好意を持たれた。たったそれだけの事で人間関係に支障をきたしている。

モテる人とは、モテる行動や仕草をしている。普通の感覚の会話で、距離なんて詰めなければ一線を超えることはあまり無いと思うのだけど。環境がそうさせたのか。家庭環境の中で兄弟に、異性の兄弟が居ればその行動や仕草が、自然と身についていたりするのだろうか。

ただ、こう言った人達は恋愛に発展させるのが上手い、錯覚を起こさせた相手の数が多くなれば。場数と経験も増え、自然と恋愛に必要な技術も飛躍的に伸びてくる。

ただ、恋愛慣れとは、していたほうが評価が良いのだろうか?

「恋愛慣れしている人が良い」と思える人もいる。恋愛慣れしていると言う事は、それなりの相手との関係に慣れているという事。求められる答えに対して、それなりに近い提供が出来るスムーズな恋愛。ただ同時に、それがもしも過去の人の経験から学んだ事なら、その点についての魅力は減るだろう。

一方で、「恋愛慣れしていない人が良い」という人も居るし。恋愛慣れしていない人は、新鮮で誰の色にも染まっていない良さがある。「初めて」が良くある。ただ、どうにも積極性の無さや、相手から求められる答えに対して、慣れていないせいか逆に受け身でもあって。新鮮さはあるのだけれど、物足りなさがあったりする。

人によって、求められる要素は必ずしも同じな訳でもなく。特に恋愛においては、慎重に考えられやすい。

思わせぶりとは、相手の自分に対する印象、つまり恋愛対象にカテゴリーされる技術であるから。自分を売り込める技で、ある程度必要な要素でもあるのかもしれない。ただ、そうやったテクニックで発展を、たくさん行ったとして印象的にはガタ落ちすると思う。付き合った回数は、ほどほどが良い。

「付き合った回数」など、つまらない事で競う人もいるが。恋愛を沢山したからといって、勝って何になるのだろうか?所詮、その勝負に勝った。気持ちの紛らわし程度で。長続きしていないのなら。ただ回数が多いだけの人でしかなく。"付き合うまでの行程"が、ただ得意なだけである。

僕的には、思わせぶりをされようが、思わせぶりをされまいが。どちらでも構わないのだけど。付き合う気がない相手に対して、思わせぶりな行動をとる。そんな人を見ていると、付き合った後でも似たような行動を起こすのだろうな、と想像してしまう。

飽きたら次の乗り換え、だって、この人たちにとってみれば日常のように、自然と当然のように行う技術が備わっており、ウブな人とは反対に、平気で出来てしまうのだから。

そもそも、こう言った人達は積極的に見えて受け身なのだ。自分はリスクを負っているようで、相手側にリスクを背負わせていて。曖昧なままに関係を進めていく、思い切りの無さが思わせぶりなのだから。言い方を悪くするならば、中途半端なやり方で、自分が傷つかないやり方で、相手を傷つけて終わる。

そこに人の良さがあるのだろうか。

無自覚にも思わせぶりをしてしまう人も同じように、本当にモテたくも無いのなら。「好意を持たれない技術」の取得でもすれば良いと思うが。どのみち、こう言った人達は異性の友達が多くて、「異性の友達の方が気が楽」だと発する。当たり前だ、その方が慣れているのだから。わざわざ変えるのだって、面倒くさいのだろう。

どのように生きても、自分とはそれほど関わる事がないと思うが。「モテる」という好意は、異性との交友関係の間に弊害を作っている事には、変わりがないのだろうな。

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