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2011年 中日ドラゴンズ(優勝)

前年は強力なクリーンアップと強力な投手力を武器にリーグ優勝。
しかしこの年から飛ばないボール、統一球が導入。しかし結論から言えば、この年の中日打線はリーグ最下位の打撃スタッツでしたが見事優勝。
ちなみにこの年を最後に落合博満監督が退任しています。さらにこの年を最後に中日は優勝から遠ざかっています。
↓ちなみに2010年に日本シリーズを戦ったロッテの2011年はこちらから。
比較してみるとおもしろいかも。


2010オフの動向

この年のオフは横浜から佐伯貴弘を獲得。高齢であったため主に代打要因での起用が見込まれました。また新井良太を阪神に放出して水田圭介をトレードで獲得。外国人選手ではJ.グスマン、F.カラスコの2人の野手とエンジェルベルト・ソト投手を獲得しました。

スタッツ

打撃スタッツ

2011年 中日ドラゴンズ 野手陣

統一球の影響で野手陣の成績は前年より軒並み悪化。特にホームラン数の減少は顕著で2010年は119HRだったのが2011年は83HRになってます。
(ただ2010年はリーグ4位ですが、2011年はリーグ3位です。統一球は恐ろしい…)
圧倒的だった中軸もHR数を落としています。森野将彦は22HRから10HRに、
和田一浩は37HRから12HRに、ブランコは32HRから16HRと半減。
ちなみにチーム内の打撃三部門の1位は
【打率】荒木雅博 .262 【HR】ブランコ 16HR 【打点】和田一浩 54打点
とどれも去年からしたら微妙な結果に終わっています。
規定到達者は荒木雅博、森野将彦、和田一浩の3選手に終わっています。
しかも若手があまり出てきていないのも痛いですね。
選出したスタメンを見てみても平田良介、大島洋平以外は30代。
谷繁元信は41歳、和田一浩は39歳、井端弘和は36歳とかなりの歳です。
控えの20代の選手(堂上直倫や野本圭)もさほど活躍せず、ここで20代選手が台頭しなかったことが2010年代中日の大低迷に繋がったような気がします。
結局この年の得点数、打点数、打率はリーグワースト。これだけを見ると優勝した打線には全く見えないでしょう。

投手陣

2011年 中日ドラゴンズ 投手陣

この打撃成績で優勝できたのも投手陣の活躍があってでしょう。
規定到達したのは吉見一起、マキシモ・ネルソン、チェン・ウェイン。
高齢化しつつあった打撃陣とは反対に20代が中心にローテとして回っていました。また26歳の山内壮馬や20歳の伊藤準規、そして2010年ドラフト1位の大野雄大(佛教大)もおり、まだ未来ある投手を保有できていました。
話を戻すとエースの吉見一起は18勝で最多勝、防御率1.65で最優秀防御率を受賞。最高勝率も獲得しています。
しかしネルソン、チェンはそれぞれ10勝、8勝してますが負け越しており、ネルソンは14敗、チェンは10敗しています。防御率はどちらも2点台後半なのですが…
新外国人のソトは22登板で防御率1.73、5勝を挙げています。

救援陣はなんといっても浅尾拓也でしょう。前年中継ぎながら12勝をした浅尾ですがこの年も大活躍。79登板で7勝2敗45H10S、52HPで最優秀中継ぎを獲得しています。しかも中継ぎとしては異例のゴールデングラブ賞とMVPも受賞しています。
他の中継ぎでいうと左の小林正人は58登板で防御率0.87で18H、岩瀬仁紀は56登板で防御率1.48、37Sを挙げ、通算300Sを挙げています。

QS数は驚異の95、HQSも63といずれもリーグ1位。それどころか失点・自責点もリーグ最少、防御率は先発も救援もリーグ1位とこの年の中日はとにかく点を与えない野球をしていました。

シーズン

東日本大震災の影響で4月12日開幕となった2011年のプロ野球。
序盤は不調でしたが、交流戦で一気に立て直し交流戦は14勝10敗で4位になりました。この年の中日はとにかくシーズン終盤になるにつれて調子を上げており、8月は13勝8敗、9月は15勝6敗、10月は11勝5敗と8月以降は貯金を20作り、開幕から首位の座にいたヤクルトを追い抜き優勝しました。
ちなみにこれで球団初の連覇を達成しました。
日本シリーズではソフトバンクと対決。しかしソフトバンク相手に3勝4敗と日本一にはなれませんでした。
ちなみにこの年のソフトバンクについては下のリンクから飛べます。

そしてこの年、2004年から8年間チームを率いた落合博満監督が退任。
2004年から2011年まで中日は4度の優勝と日本一1回、この期間はずっとAクラスでした。まさに中日黄金期を象徴するような人物でした。

2011年10月18日 球団初の2連覇を決め、胴上げされる落合博満監督

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