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精神科デイケアで「すま」が学んだこと(後半)

2023年10月3日にこんな記事を投稿していました。


後半を書いていないことを思い出しました(後半はないかもしれないと末尾に書いてはいたものの…)。

6ヶ月近くあいてしまいましたが、思い出したからには何かカタチにしてみようと思い、パソコンを立ち上げ、今書いています。

前半の記事では、以下のことについて、わたし個人として精神科デイケアで学んだことを言語化してみました。

🔸どんな人にも誰かに影響できる素材をもっている
🔸どんな価値を自分でつくって参加できるかの方が、用意された内容よりも遥かに返ってくるものがある

精神科デイケアで「すま」が学んだことの目次より抜粋


後半では、何を言語化してみようか。

当時を回想しながら、今現在のわたしの仕事に影響を与えてくれている想いや思考を振り返ります。






🔹認知機能障害という視点から、生きづらさを捉える

精神科デイケアでは、外来治療の一環としてリハビリテーションを行う機関として位置付けられています。
医療とは一定の、根拠(エビデンス)に基づき提供されるという側面があります。
わたし達リハビリテーションに関わるスタッフも当然ながら、治療的な根拠(エビデンス)があるとされていることを提供する内容の幹として行うことが大切です。

当時、そう言った意味では先輩の実践、院内外の研修や書籍に触れ、試行錯誤しながら、これがどんなリハビリテーションに繋がるのか?どんな治療的な効果を期待できるものなのか?に関心を持って取り組んでいました。

そんな中で、「認知機能障害」という言葉に出逢います。
SSTなどのソーシャルスキルトレーニングといった手法を実践する際にも結びつきのあるものです。

私たちは、コミュニケーションをはじめとして行動するときに
⓪何らかの情報(刺激)に対して
①情報を受信(インプット)する
②受信した情報を頭の中で何らかのカタチで処理をする 
③処理したことを外に送信(アウトプット)する

コミュニケーションはある種、この一連のプロセスを相手との間で繰り返しキャッチボールしている状態です。
精神疾患を持つ方が抱える障害の中の一つに、この認知機能に関してが発症前と比べ障害されてしまう場合があることが言われています。

メンバーさんが困っている状況に遭遇している時や、どうも言葉のキャッチボール(コミュニケーション)が噛み合っていないとお互いに感じることが日々の中で数多くありました。

この時にこの考え方を知ったことが一つ役に立ちました。
その方が困っていることをどう聞いたのか。聞いたことをどう考えたからこういう発信をしたのか。

入り口のインプット、「聞く」というところに何か特徴的な聞き方を持っているのか?
ちゃんと相手の言うままに聞くことはできているけど、言葉を投げ返す前の頭の中での処理、「どう解釈したのか」に特徴的なフィルターを持っているのか?
ちゃんと聞けているし、適切に解釈もできているけど、それを言葉にする時に何らかの「言語的な課題がある」のか?

「コミュニケーションが苦手」というフワッとした生活上の障害に対して、全ての必要な機能が障害されているのか。
あるいは健全に機能しているところもあるけれど、一部の機能が阻害されて今あるコミュニケーションのカタチになっているのかを分解して理解しようすることができるようになりました。

そのことが理解しやすくなったことで、コミュニケーションがうまくできないと思い込んでいるメンバーに対して、しっかり機能できている部分と少しリハビリが必要だと言う部分を明確にしてコメントすることができるようになり、メンバー自身もここをテコ入れしたらちょっと変わるかもしれないと希望を持てる人もいました。

認知機能に関する特徴は、病気の有無に限らず、誰もが持っています。
あなたにも、わたしにもあります。

私自身を理解する上でも、とても役に立ちました。
わたしもコミュニケーションは苦手です。周りからは否定されるのですが、私自身は「苦手である」という考えを持っています。

わたしは、アウトプットが苦手です。

反復されたものはある程度出せますが、瞬発的にというのが苦手です。
その時々なのですが、わたしは多分「処理」の機能が弱いと思っています。
特に聞いたことに対してあえて「疑問を持って聞く」という処理が苦手です。
「そうなんだ」とそのまま処理をする傾向があります。

ある程度聞けているのですが、処理が苦手なので何を発信したらいいかが定まらずに思っていることや考えていることを即座に自分でも理解できていなくてアウトプットするのに時間を要する傾向があります。
真実かは分かりませんが、そう思っています。

なので、こうした記事を書くことも実は苦手です。
一つの自分自身の練習だと思ってやっているところもあります。

医療相談室の部門に異動したときは、圧倒的に初期相談の回数が増えました。

初期相談では、短時間の間に様々な情報を聞き取ることが必要だったりします。聞きながら、より立体的に相談者の置かれている状況や実際に起きていること、治療に繋がった後にどんなサポートを今持っているのかなどを聞いたことから処理をし調整するために不足している情報を相手に聞いたりします。

そういう点で、わたしは医療相談室での仕事は非常に難易度が高かったです…苦笑
そして、とても処理の機能を鍛えられたと思います。

人や自分の生きづらさ、難しいことを理解するためのツールとしてこの考え方に出逢い、それを日々のプログラムなどの中で取り入れられる環境がデイケアには数多くありました。それはこの期間でとても学ばせてもらえたことだと今でも思いま
す。


🔹ストレングスを捉える力

精神科デイケアは一つの部署の中で複数の専門職が配置されている部署です。
専門職によって特性が異なります。
「医学モデル」という言葉があるように、基本的に病院では病気がある人に対して治療をするというスタンスがある機関だと思います。

しかし、医療機関の中で唯一私たちは精神保健福祉士は医療職ではない畑の違う人間です。

精神保健福祉士としてのアイデンティティを、既にある程度成熟された他専門職のアイデンティティが形成されている中で、考えることができました。
特にわたしの勤めていたデイケアは精神保健福祉士は比較的若手が多く、他の職種は中堅以上のスタッフが多いのが当時の構成の傾向でした。

わたしは精神保健福祉士ではあるけど、実際ほぼゼロ。
これから現場の中でアイデンティティを確立していく立場でした。
まだまだ専門職としてのアイデンティティを存分に表現する筋力を持っていませんでした。

一方で他の専門職は、それぞれ病棟やOT室など、自分の専門職の機能だけが求められる部署で一定のキャリアを積んだメンバーが多かったのでスタッフ会議などでメンバーやプログラムのことを検討する際には専門的なアイデンティティがとても分かりやすく出ていたのです。

「同じ色に染まっては意味がない。」

逆境のような状況でしたが、だからこそ
・精神保健福祉士とは何を大切に人と関わる仕事なのか?
・スポットを当てるべきポイントはどこなのか?
・専門職としてのストレングスはどこなのか?

そういった、日々自問自答を。
時には他部署や外部の研修などの場を使って自分なり落とし込みながら、それをデイケアの中で実践する日々。

多職種だからこそ、専門性を認知しやすかった。わたしにとっては。

デイケアが当時国内でも、より根拠のあるリハビリテーションを提供することに関しクローズアップされていた時代背景も相まって、個人、そして部署としてのストレングスを考える機会が多かったのも後押しになっていたでしょう。

こうして過ごした数年間、現在のわたしの精神保健福祉士であることのアイデンティティ形成においても、確実に血となり肉となって体内に通っています。
実はこれを認められるようになったことも、わたしが新たに手に入れたストレングスかもしれません笑


🔹人の持つレジリエンス能力を信じる

デイケアでは、メンバーさんに対して直接的に自分ができることを少しずつ増やしていくことに取り組んだ時期でしたが、一方で、同じ生活者として何らかのメンタル的な課題を抱え、それらの思考や技術を活用する当事者としてもTry & Errorを実践する日々でした。

そうした過程の中で、本来持っている力や、自らが「できない」と自分に呪文をかけていた言葉を横に置きながら、新しい境地へ飛び込み人生を歩むメンバーひとりひとりの生きる強さを何度も魅せられる中で、人には元来備わっている力、「レジリエンス」を信じることができました。


相談室へ行った後も、現在の施設での仕事の中でも「人」に対しての根本的なわたしのスタンスとして根付いています。
わたし自身に対してもです。

デイケアを後にし、医療相談室での数年間はわたしにとって人生で最も厳しい時期だった期間の一つですが、その時でさえ、生き延びることができました。

わたしの場合、そのような時期に幸運にも環境面では人的なストレングスがあったことも大きかったですが、わたし自身がとても自分には務まらないだろうと実習生の時から思っていた病院のケースワーカー業務を一定の期間やり切れた。

弾力を失ったゴムボールのように今思えば軽い抑うつ状態だった時期もありましたが、徐々に整え再び弾力性を取り戻しながらやれたと自分を評価しています。


後半戦は、以上とさせていただきます。
一旦前半、後半というデイケアトークは本記事で終結とします。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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