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I want it that way

「まあ. . .不安障害ですね」

呼吸ができなくなって、手足がしびれてきて、立っていられなくて、倒れこんでしまった時 ー(もう死ぬのかな)と初めて思った。
深刻な過呼吸の発作というものを何回経験しただろう。

仕事を教えてもらえなくて、来る日も来る日も出勤するのがつらかった頃。
初めての出産で陣痛の痛みが想像以上でパニックになった時。
1歳前の末っ子を抱えての転勤で、知らない土地での育児に不安を抱えていた夜。
勤務先で倒れ、そのまま入院と言われ(夫も病気なのに今自分が入院するわけにはいかない!)と医師に訴えている最中。
そしてやっと社会人に育て上げたと思ったこどもが適応障害で休職中の今。

3回目で初めて「過呼吸」という名前を知り、担当医から対処法を学んだ。
その時はまだ自分の「体質」ととらえ、頻発するわけでもないので発作が起きた時は呼吸を整えることで小さな発作は自力で乗り越えてきた。
亡くなった母が何かといえば「ああ、動悸がする」といっては寝込んで責任回避をしているのを見ては(いつもあたしの出来の悪さを責め立てるのに、この人は病気に逃げているじゃないか)と思っていた。
だから自分は病気に逃げるような人間になりたくなかった。
どんなに仲間外れにされても、悪口を言われても学校は休まなかった。
どんなに自分に向いていない仕事だと思っても、自分からは「出来ません」とは言わなかった。
どんなに辛い作業も役目も、やってもいないのに文句は言えないと一通りやった。
つらい時は体を鍛えた。食べ物に怒りをぶつけた。弱い自分を罰していた。

今は令和だ。多様性の時代だ。
つらい時は休めば、逃げればよいそうだ。
ではその間にだれがあたしの人生を回してくれるのだろうか。
誰も変わってはくれない。変わってもらいたいとも思わない。
あたしの人生はあたしのものだ。

だからあたしは今回も、自分の現実を受け止めようと思う。
ここで文章にして状況を羅列することで自分の心を整理し、気持ちが不安に陥らないようにしたい。
ことの発端は今年2月のある朝、新年度の地域の役員に輪番で決まったからついては第1回の会合に出席してほしいとの手紙が唐突に我が家のポストに投函されたことに始まる。
輪番ならしょうがない、と思ったもののあたしはとにかくこういう「輪番制役員」というものが苦手だ。
3月に引き継ぎの会、4月と5月は2回ずつ、週末の夕方に会合があった。
このマンションに越してきてまだ3年少し、周りは知らない人だらけである。
引っ越し回数22回を誇るあたしではあるが、知らない人ばかりの場所に出て行って挨拶したりするのはいつも緊張するものである。
とにかくいろいろ想像し、いろいろ不安になっていたのだろう。
ゴールデンウィークは天気にも恵まれたので積極的に外出して気分転換を図ろうとしたのだ。
ところが久しぶりに乗った電車で呼吸が苦しくなった。
(久しぶりに長い時間混んだ列車に乗ったからかな. . .)
駅でしばらく休んで呼吸を整えたら落ち着いたのでその日は無事に帰宅できた。
ところがそれから3日と空けず、また息苦しくなり、しばらくぐったりしてしまった。
(これは過呼吸ではないのか、心臓に何か問題でも?)
心配事が芽生えるとどんどん不安になってしまう。
結局そのまた5日後くらいで買い物に出かけて歩行中にまた苦しくなってしまい、そのまま病院に駆け込んだ。
心電図を取ったり、いろいろ検査をしてもらったが異常はなかった。

「大丈夫ですよ。だ、い、じょーぶ!」
診察台に横になって呼吸を整えている間、医師がこころもち大声で、でも優しくゆっくりと声をかけてくれた。
「不安が残るようなら循環器科などで精密検査をしてもらえばいいと思いますが、検査内容とお話を伺った限りでは精神的なストレスではないかと思いますね。つまり、不安障害ですね。」
精神的ストレスによる疾患 ー あたしの一番嫌いな奴。
「抑うつ剤を処方することはできますが、ま、その不安に思わないように、思いつめないようにまずはした方がいいかもしれませんね。これからは熱中症の心配もありますから、不安のないように準備して、出先で倒れたらどうしようとかって先回りして心配したり出控えるんじゃなくてですね。」
医師の話を聞いているうちに気持ちも落ち着き、呼吸も整い、待合室で事務員さんたちにめちゃめちゃ親切にしてもらってお水もたくさん飲ませてもらって、すっかり元気になって帰宅した。

あれからとりあえず10日が過ぎた。
今のところはパニックになることも呼吸が苦しくなることもない。
2回の役員会があったが無事にこなせたと思う。
心臓や肺、血液検査の数値に異常がない、と言われただけでも随分安心材料だったのだろう。
次回はなぜあたしがこれほどまでに「輪番制役員」というものが苦手なのか、その原因と思われる20年前のPTA役員経験について書いてみたいと思う。
そうすることでより自分の気持ちを整理できて、今後の役員活動にも利すると考えている。


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