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「船浮でサーゆいゆい」について

5月の石垣島にて

東京から約2,000km。沖縄本島から南西に約400km離れた石垣島に僕はちょくちょく行く。
羽田空港から直通便で3時間ほどで来れる身近な南国で、島自体がコンパクトにまとまっており離島と言えど食事や買い物や遊び場所に困ることは一切ないこの島が僕は大好きだ。

10数年前は沖縄本島によく遊びに行っていたが、石垣島を訪れてからは本島に旅行することはほとんど無くなった。
離島好きには 街の中心にフェリーターミナルがある石垣島はとても魅力的だ。その日の気分で八重山の離島に行ったり、島内で買い物したりレンタカーでドライブしたりと 旅行者にとって自由度があるのがコンパクトシティ石垣島の魅力でもある。

ただ7、8月の真夏に石垣島に訪れるのはお勧めしない。その時期はホテルも飛行機チケットも値段が高いし、なにより日差しが熱すぎて(暑いではなく熱い)長時間歩き回ると熱中症必至だ。夏の昼間に用も無く歩き回っているのは観光客だけだと現地の人によく言われた。
沖縄の太陽は距離が近いのだ。

2月3月でも日によってはTシャツ一枚で過ごせる日も多いし観光客も少なくなるので、八重山諸島に行く時期は夏以外にした方がよいというのが真実だが、その重要事項を伝える相手は誰も居ないので、このnoteに留めておこう。
あ、あと毎年春になると花粉症に苦しめられる人は、その時期に石垣島に行きましょう。石垣島に花粉なんてものはないので。

ホテルのバルコニーでビールを飲みながら眺める石垣島離島ターミナル

どういう仕組みかは僕には分からないが、旅行サイトで色々検索していると同じ旅行プランでも日程が1日2日ズレただけで値段がガラリと変わることがよくある。
たまたまそのフラットスポットが如く値段が安い日を見つけたか故、先日再び石垣島にふらっと行ってきたのである。
毎年5月中旬から沖縄は梅雨に入るので、それもありホテルも安かったのかなぁ。運良く梅雨入り前で現地では雨に見舞われることもなく、本州より一足早い夏の日差しを浴びることができた。日焼け止めクリーム買っといてよかったわ。


初夏の秘境西表島船浮にて

たびらいHPより
https://www.tabirai.net/activity/okinawa/article/ll-yara_iriomote/

沖縄には綺麗な海がたくさんある。
ただそれは現地の人達が定期的に保守清掃をしてくれているからであって、ガイドブックに載っているような美しい砂浜でも 放っておけば海流に乗ってきた大陸からの無数の漂流ゴミが海岸を覆い尽くしてしまう。もはや日本国内に漂流ゴミの無い砂浜など存在しないのではと思っていたが、数年前の西表島で 奇跡的な美しすぎる海辺を見つけた。

そこで観た青い景色がどうしても もう一度観たくて朝からフェリーに乗って西表島に向かったのだ。
今日は朝から天気が良い。

船浮 秘境めぐりツアー

陸の孤島とも呼ばれる西表島の船浮地区。西表島の白浜港から船でしか辿り着けない三次離島。前回訪れた時は時間的にゆとりが無く、この美しく興味深い場所の表面だけしか見れていなかった気がしていた。
なので今回はたまたま見つけた 1日がかりで奥西表地区を巡る「西表島グラスボート秘境めぐり観光ツアー」に参加することにしたのだ。どうしても西表島のツアーというとシュノーケルをしたりカヌーに乗ったりというものがほとんどの中、この船浮の自然と歴史を知るためのツアーというのがとても面白そうに思えた。現地のことを知るには現地の人の話を聞くのが1番だ。

結果、これがとても面白かった。
ツアーの主催者でガイドを務めてくれた池田さんは船浮出身で、進学や就職で一時期ここを離れていたが、その後Uターンして観光業を始められたそうだ。
この池田さんの知識量と物腰の柔らかい話の巧さで、色々と「秘境船浮」「奥西表」のことを知ることができたのだ。

船浮海運HPより
https://funaukikaiun.wixsite.com/top-jp

西表島の西部。島を半周する幹線道路の西の終点が「白浜」。さらにそこから船で10分程進むと辿り着く「船浮」。その近辺が『奥西表』(西表島の奥の方という意)と呼ばれている。
『奥西表』という呼称は昔からあるように思えるが、実際は今回ツアーガイドをして頂いた池田さんが観光業を始めてから思い付きで使い始めた言葉だったのに いつのまにか皆が公用語のように使い始めたと本人は笑っていた。

グラスボートで穏やかな船浮湾を進む

ツアーの始まり。白浜港から出港したボートは船浮湾をスクリューを勢いよく回して進む。心地よい南の潮風が頬を撫でる。
キラキラと異様なほどの透明度を誇るここの海の浅瀬には大小数多くの珊瑚が見られ、船浮港周りの浅瀬には エサの海藻を求めて優雅に泳ぐ大小の海亀が海面から見られた。間近で見る亀ってカワイイのよ。呼吸するために たまに海面に顔を覗かせてさ。

だがこの青い海でも自然環境の変化で珊瑚の生域も徐々に減ってきている。初耳だったのは珊瑚は海温が30度を超すと生きられなくなるという。台風などの荒天が来ると海がかき回され海温が下がり珊瑚にとって生息しやすい環境になる。数年前に台風が全く来ない年があり、その時期は目に見えて珊瑚が死滅していったという。
台風を必要とする珊瑚や、その珊瑚の枝葉の中で暮らすカラフルな魚達。グラスボートから海中の彼らを眺めながら自然の摂理を感じるのであった。

船浮湾にはマングローブ林や滝があったりとジャングルクルーズ感満載

西表島と炭鉱

内離島には上陸は出来なかったが、船から見えた横鉱からここが炭鉱であったことが伺える

奥西表には「内離島(うちぱなりしま)」「外離島(そとぱなりしま)」という島がある。
現在では無人島だが、1960年代まで炭鉱施設があり 現在の木々に覆われた険峻な見た目からは想像出来ないが住居や生活施設が島内の広くない平地部に存在していた。
当時は過酷な労働環境やマラリアが蔓延り、鉱夫たちは現代では考えられないような扱いを受けていたという。
美しい海と空の狭間にこういった歴史があることを知っておいてよかった。

船浮にて

秘境船浮
船浮のメインストリート

ボートは船浮湾をひと回りし船浮港に到着。
久々にここに来たけれど とにかく静か。穏やかな風とすぐそこにある波の音がはっきりと聴こえる。今では飲食店や宿泊施設で働く方が多く、産業としては観光業がメインとなる船浮地区だが、喧騒からは物理的に隔離されたここの風は何十年も前から変わっていないのだと思わせる。
この地域の住民数は50名弱で そのうち小中学生は現在4名だという。集落内には「船浮小中学校」があり、ここの教職員が10名だというので教育的にはかなり恵まれた環境のようだ。学校の運動会では住民総出で子供たちの応援をすると聞いて とても素敵だと思った。

西表島内には高校が無いので中学校を卒業して進学するとなると、必然的に実家を離れなくてはならない。15歳で親元を離れて暮らしていくなんて絶対逞しくなるよね ここの子供達は。

美しい学校

イリオモテヤマネコとは

池田さんに「イリオモテヤマネコって見たことあります?」と聞いてみたら、何度もあるよとのこと。まぁ西表島に長年住んでるんだからそりゃそうか。

面白かった話としては、幼少期に家の外のニワトリ小屋が騒がしいなと思って見に行ったら猫がニワトリを狙っていたということが何度かあったという。
その後 小学生の時、校外学習で『餌場にやってくるイリオモテヤマネコを皆んなで隠れて観察する』という機会があり、やっとのことでそこに現れたイリオモテヤマネコが、いつもニワトリ小屋で見ていたあの猫。
「イリオモテヤマネコ」というのはもっとデカい獣だと思っていたのが、実際には家に来ていたいつもの猫でガッカリしたという。

国の特別天然記念物であるイリオモテヤマネコは絶滅危惧種といわれるくらいだから個体数は減っているのか?
現在100体程が西表島に生息しているというが、イリオモテヤマネコは縄張り意識が高く単独行動する動物なので、西表島の面積を1個体の縄張りの範囲で割ると、必然的にそれ以上の数にはならないという説があると聞いてとても興味を惹かれた。
自分の縄張りが見つからなければ淘汰されてしまう弱肉強食の世界。どこの世界も大変だ。

イリオモテヤマネコの話ではないが、西表島ではイノシシ猟が行われており集落内の食堂で猪肉を食べられる。西表島のイノシシは小型で肉質がとても良いが、島外に流通することがほとんど無いというので、これを目当てに西表島を訪れるのも良いかもしれないね。

奥西表と戦争

壕が縦横に張り巡らされている

こんな日本列島の端にも戦争の痕跡が残る。船浮集落の少し外れまで歩くと岩盤をくり抜いた防空壕や要塞の跡地が現れる。船浮湾はその深い入江が艦隊の前進基地として適地とされ、1941年までに船浮や内離島や外離島に臨時要塞が設置された。
この防空壕は戦後も手付かずで保存状態は良いというが、落石もあり中に入ることは憚れた。今ではコウモリの巣窟となっているようだ。

戦後にはそこに残された不発弾の火薬を使ってダイナマイト漁(!)が行われていたという。ワイルド過ぎるわ。

変わったオブジェだと思ったら不発弾

イダの浜

集落から「イダの浜」に歩いて向かう。
僕が思うに沖縄で1番美しいビーチである。すっぴんで化粧っ気の全くない美人なビーチ。
ここに来ると気持ちがソワソワするのがわかる。海も空も風も全ての色がキラキラ輝いていて とても落ち着いてらんない。

黄泉の世界がここであるならば あの世も捨てたものではないかな。

5月でこれだから夏にはもっと濃い色になるのだろう

シュノーケルをしている人の横をウミガメが一緒に泳いでいるのが見えた。この海にずっと見惚れていたいが真上から突き刺す太陽が熱すぎる。

イダの浜は天然の浜そのものなので当然売店や水場などは無いが、船浮集落に戻ればシャワーをレンタルしてくれる宿が何軒かあるので、海に入る人は事前にチェックしておこう。
また船浮から白浜に戻る際は定期船に乗る以外に、海上タクシーもあるようなので(片道2,000円〜3,000円らしい)時間を有効に使いたい人はこちらを利用するのが良いかもしれないです。

ただこの穏やかな美しいイダの浜や船浮集落に不安が無いわけではない。
集落がある小さな岬の約16ヘクタールの土地をユニマットグループが買い占めていることが2008年に判明した。リゾート開発が目的なのは明らかで、場違いな観光施設がやってくるのではないかと住民を不安にさせている。
それ以前に同じ西表島の浦内川河口に地元住民反対の中、大型リゾートホテルを建設したことがユニマットグループにはあり それが住民の嫌悪感を増大させている。(結局ホテル経営は上手くいかず星野リゾートに経営権を譲渡)
実際に5、6年前には「船浮に建設予定の大型ホテル」の求人広告が新聞に掲示された。しかし住民や竹富町からの風当たりの強さを感じたのか事業計画に現在は動きがないようだ。

西表島は日常の中の非日常

奥西表という海とジャングルに囲まれた小さな地域の歴史と文化。今回 わずかな範囲だろうが深く知ることができた。
常々思っていることだが、何でもかんでもインターネットで調べただけで なんとなくそれを理解したような錯覚に陥る。きっかけや興味を持つのにそれは便利だけれど、それ以上のことは起こらない。
写真で見て美しいと思っていた場所が 実際にはそれ以上に美しかったという珍しい例が今回行った「イダの浜」だ。写真には映らない美しさを自分の足で見つけた時のドーパミンが噴出する感覚がやっぱ好き。

そんな場所を探しにふたたび僕はどこか遠くに向かうのである。

 

 

 

ピカリャ〜と一緒にサーゆいゆい

そういえば八重山の離島(竹富町)でちょくちょく見かけるゆるキャラの「ピカリャ〜」。こんなことを言うのは野暮だが、南国でこの厚着の着ぐるみの中に入るのはかなりの苦行。本物のイリオモテヤマネコより先に “中の人” が絶滅しそうだわ。

「ピカリャー」ではなく「ピカリャ〜」

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