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体内エネルギーとベーシックインカムとクリエイティブと廃人との関係性について(なんだそりゃ/思考の整理)

先週体調不良んなって気づいたのだけど、人って体内のエネルギー量によって行動が制限されているんじゃないかなって

エネルギー量がゼロに近い状態の時だともうAppleTVのリモコン持ち上げるのすら面倒で、Netflix寝ながらただただ見続けて、時々「まだ見てますか?」とか聞かれて、がんばって「続ける」をポチしてって感じになるんだけど、これエネルギー量が通常状態の時にはできないことなんじゃないかなって思ったって

つまり体調不良で外が雨だったりしたら部屋ん中でNetflixとかetc見続けることができるんだけど、元気一杯の状態で外めっちゃ快晴だったりしたら部屋ん中でじっとしているの少し苦痛で、外でアクティビティしたくなったりするんじゃないかなってはなし

こんな極端な感じでなくても、体内のエネルギー量には日々ムラがあって、ぼくらはそれを気分みたいな雰囲気で感じ取っているんじゃないかなって

ぼくは今までベーシックインカムみたいな制度があればみんな自由な状態になって、面白いものを作り出すんじゃないかなって思っていたのだけど、

逆に生きるために働くみたいな外部の強制力がなくなってエネルギー量的には低下する方向に向かうから、みんな楽なコンテンツ消費って方向に向かうだけでけっきょく何にも生み出さない状態になるんじゃないかって想像

ルネサンス時代にたくさんの芸術が生まれたのは、国が豊かになってたくさんのパトロンが生まれたってのもあるけど、その前提として周りに面白いコンテンツが少なくてみんなヒマだったってのもあるのかなって、

今だと本人にある程度以上のエネルギー量がないとものを生み出すまでにいかないんような、ただ思考するだけでも、何かを生み出す時には想像以上のエネルギーを消費するので

生きるためにはやっぱりエネルギーが必要なわけで、日本の文学とかは「人生なんてクソだ」みたいなところからエネルギーというかモチベーションを上げてつくられているものが多いと思っていて、

それは今のアニメやサブカル(もうサブじゃない?)の文化にも「生きにくい」みたいな形で引き継がれているような気がする

ぼくの場合それは「たいくつ」で、何を作っていてもやっていてもたいくつを感じる時に、もっと何かすごいものがつくりたいってなってエネルギーが湧いてくる節があるし、

その時に必要な要素として外からのインスピレーションがあって、

それは多くの場合、海外とか今と違った環境にいる時に起こる

で、来月に三年ぶりくらいに海外に行けるからそのサイクルがまた戻ってくるといいなって思ってるってはなし :-)(とりとめもない、、笑)

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