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私が文章作成にAIを使わない2つの理由

脚本家・壽倉雅(すくら・みやび)でございます。

技術の進歩により、今は様々なところでAIが使われています。
もちろん、AI技術そのものは利用用途によっては素晴らしいもので、決して存在や価値を否定するつもりはありません。

ですがその反面、ディープフェイクや、以下の記事のように生成AIによる無断使用で作られる音声や映像について声優有志の皆さんがルール作りの必要性を訴える啓発動画を公開するなど、問題視される点も多々あります。

また、AI記事をアップすることで、実在しない場所を説明する記事が出回ってしまう事案も起きていました。

このように、技術そのものをAIに頼ることで、逆にトラブルになってしまうこともあります。
『文章作成』そのものも、状況によってはAIを使うと時間短縮や作業効率となり良いかもしれませんが、私は文章作成では一切AIを使っていません。
前置きが長くなりましたが、今日はタイトルのごとく、何故私が文章作成でAIを使わないのか、その理由を書きたいと思います。


理由1.気持ちがこめられていないから

文章を生業にしている私としては、まず挙げる理由として、気持ちをこめているかということです。
自分が生み出すセリフや、仕事で作る資料、そしてブログやこのnoteなど、文章という文章は、

『自分で書いてナンボ』

だと思っています。

自分が発信するものは、やはり自分の言葉で書きたいのです。
そのためなら、時間短縮や作業効率は二の次です。

自分で発信するものなのに、AIなど技術に頼っていたら、それはもはや『自分のもの』ではないような気がします。

シナリオにおいても、AI技術を使った作品が稀に見受けられます。
私としては、『脚本』という物語の設計図とも言えるものに対し、AI技術を頼るのはどうなのかと、疑問を呈するものがあります。

自分で設定や登場人物を作り上げ、物語を作り、セリフを考える……自分の作品は、自分の子どもです。親になったことのない私が言うのは何ですが、作品作りにはそれなりの時間を要し、書き上げていきます。
それに対して、AIを使って作成をすると言うのは、育児に手を抜いて家政婦やベビーシッターに任せきりにしているのと同じ状態だと考えます。

脚本制作に過程でも、しっかりと気持ちを込めて愛情を注いで『作品』を育てたいというのが脚本家というものです。
だからこそ、一つの作品を書き上げるためにAIに頼るのは、ナンセンスだと私は思います。

脚本制作に限らず、文章を生業としている以上は、気持ちを込めたものにしたいと考えます。

理由2.自分で書きたいから

文章を生業にしている以上、やっぱり『文章は自分で書きたい』ものです。

「どうしよう」と時に悩みながらも、やはり自分で書いている以上は、AIに頼らず自分で書きたいものです。
プリントされた資料を見て「これは全角だ、半角だ」「何でこの表現を使っているのだろう」「このフォントサイズは12かな?」等、自称『文章バカ』の私は、文章を書くことがやっぱり好きなので、誰にも頼りたくないのです。

理由1の項目にも書きましたが、作業効率とか時間短縮は二の次です。
そもそも自分で書きたいものに、効率性を求めてはいけないと思っています。
書いては消して、この繰り返しをする中で自分が成長するものだと思います。むしろAIは、私自身の成長の妨げになっているのではないかとも考えます。

成長するためには、『書く』しかない。

これに尽きると思います。
そのために、作業効率や時間短縮を優先してAIに頼っては、良いものは書けないのではないでしょうか。

どんなものでも、文章を生業にしている以上は『自分で書きたい』ですし、何より『書かずにはいられない』のです。

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