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ゲームは芸術

先日、自分の書いたコラムが公式のマガジンで紹介されていて、とても驚きました。

やはり、誰かに認めてもらえるということは非常に嬉しく、久しぶりに心が弾んでいます。

読み返すとまだまだ物足りない内容ですが、よろしければ見ていただけると幸いです。

さて、せっかくなのでゲームの話を一つ、

今年、WHOがゲームのやりすぎをゲーム疾病と認定する旨が流されました。オンラインゲームを中心に、シューティングやアクションといったジャンルは中毒性が高く、死傷者や精神疾患者が多数出ているため仕方がないかなとも思います。

しかし、ゲームと病気がつながるとき、常に一緒に問題に上がるのは「ゲーム悪者論」です。この理論には僕は真っ向反対します。

「ゲームを行うと健康に悪い」「コミュニケーション不足になる」「感受性が育たない」などなど、ゲームが悪者である理論は数え切れないほどあがります。

全てに反論したいですが、そんなことをしていたら超長文になってしまうため(僕の仕事も終わらないため)

今回は「感受性が育たない」について反論をしたいと思います。

日本においてゲームが悪者と認識される原因は、個人的にはソーシャルゲーム(ソシャゲ)が影響しているというのが僕の考えです。

※ソーシャルゲームとは、GREEやモバゲーなどのSNSが提供するゲーム。代表作は怪盗ロワイヤル、ガールフレンド(仮)など

無料で気軽にできることもあり、ソーシャルゲームはとても人気を博し、その後のパズドラやモンスト人気につながります。

しかし、残念なことに携帯ゲーム機の限界があるため、初期のソシャゲは、簡易なイラスト、単純なストーリーで作業感が強くとても心に残るものではありませんでした。

その後、日本にもeスポーツのゲームが流行り、シューティングや格闘ゲームなど作品ではなく、ゲームや対戦の面白さを追及したものが普及していきます。

このため、現在の日本でゲームが「作品」として評価されることは少なく、「ゲームをするくらいなら本を読みなさい!」と言われる始末です。

しかし、本当にゲームには「作品」としての価値がないのでしょうか?

ゲームは小説や絵画に劣っているのでしょうか?

そんなことは決してないと思います。

来月発売のスパイダーマンは、まるで映画の中のキャラクターを実際に動かしているかの臨場感を味わえます。

隠れた名作のワンダと巨像は、文化庁の推薦作品に選ばれるほどの綿密な物語でゲーマーの心に衝撃をあたえました。

グラディウスやストリートファイターⅡなどの90年前後のゲームミュージックは、今なお世界のアーティストに影響をあたえ続けています。

このようなゲームをしていても、感受性は豊かにならないのでしょうか?
ゲームがダメだというのではなく、感受性に刺さるゲームを選べていないだけではないでしょうか?

全てのゲームがよいとは言えませんが、全てのゲームが悪いとは僕は決して思いません。


現在のゲーム業界は市場規模が世界になり、どこも生き残りに必死です。
だからこそ、中途半端な作品が少なく、完成度が高いものや、オリジナリティあふれる作品が至る所にあります。

感受性を揺さぶれるゲームをやり終えた感覚を

あの、よい小説を読み終えた感覚や、よい映画を見た後の感覚と同じ衝撃を

ぜひ共感できる人が増えてほしいと思います。

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