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休職二週目 | 縦になって動くぞ編

「きゅうしょく」と打つと、真っ先に「給食」に変換されてしまうのは私だけだろうか。休職も二週目となり私の方としては慣れつつあるのに、スマホの方はまだ慣れていないようだ。豆ご飯やコッペパン、レバーの甘辛揚げを思い出させてくる。お腹が空いてしまうじゃあないか。そう、食欲はずいぶん戻ったし、側から見たら普通の人間、というくらいには普通の衣食住を営むことができるようになってきた。お医者さんにも、「本が読めるようになりました」と言って、「おお〜回復が早いね〜」と褒められたくらいだ。えっへん。

そんな私の休職二週目の目標は、こちら。
果たして結果やいかに。



健康ってお金がかかるよね (涙目)

火曜日、心療内科に行った。前回来た時に、お試しでと思いカウンセリングを予約して帰ったので、今回は心理士さんとの和やかしっとりお話タイムがあった。焼きたてほかほかのだし巻き卵を擬人化したような柔らかい雰囲気の心理士さんは、これまでの経緯を私にゆっくりと問いかけ、ところどころ共感を示してくださり、「よろしければ次回は、問題への向き合い方を一緒に考えるお話ができたらと思います。」と締めくくった。イヤな記憶を思い出したことで、呼吸は浅くなり、心臓は締め付けられ、お腹がぐるぐると渦巻く感覚に迷い込んだので、私はまだもろもろのぐずぐずを消化しきれていないようだった。

気分は悪くしたものの、「だしまき先生と一緒になら私の歪んだ認知もふわとろに解きほぐしていけるんじゃあなかろうか!」と手応えを感じた私は、帰りの受付で次回のカウンセリングを予約することにした。受付の優しそうなお姉さんは「30分と60分をお選びいただけます。」と言い、無収入の私は「60分はおいくらですか?」と聞き、お姉さんが「7800円です。」と答えた。無収入の私にとって、財布の紐をきつく縛り上げてお腹の中にしまいこみたくなるお値段だったが、背に腹は変えられん、私は健康を目指すと決めたんだ、と覚悟を胸に「ろ、60分でおねがいします…」と振り絞って予約を完了させたのだった。

毎回の診察料と薬代も、地味に口座の残高と私の精神をすり減らす。精神を崩してから、どうにか自力で立ち直らねばと思ってそれらしい書籍もじゃんじゃ買った (ちゃりん)。食事で十分に摂れない栄養を補うためにサプリも飲まねばならない (ちゃりん)。万年胃腸よわよわ芸人なのでビオフェルミンも欠かせない (ちゃりん)。毎月の不調で潰れる一週間をお金で買うために、ピルも継続して飲んでいる (ちゃりんちゃりん)。

健康って、お金がかかるなあ!!!

それでも私は健やかを諦めたくない。諦めない。今年の目標は健やかなので。28歳にしてこんなにも健康を切望する未来、子どもの私は全く想像していなかったよね。大人って、結構大変なんだよ。でも、明日はきっといい日になるよね、ハム太郎。


眠るのって難しいよね (白目)

体調を崩し始めてから、「今日はよく眠れたぞ〜!満足満足!」という朝を迎えられたことは一度もない。全く眠れずに朝を迎える、のようなことこそなかったが、疲れているはずなのに夜中まで脳がギンギンで眠くならない、寝なきゃ寝なきゃと思って目をつぶるとダークな記憶がどぼどぼ思い浮かぶ、暑いのか寒いのか分からないし体がずっとむずむずして良い体勢が見つからない、夜中や早朝にパチっと目が覚めてもう眠れない、壮大な夢を見させられてぐったりと疲れた状態で朝を迎える、そのくせ日中は眠たくて頭がぼーっとする、などなど。

休職してからも満足な眠りには未だありつけておらず、軽い運動を始めたことで体も疲れているはずの今週でさえ、早朝に目が覚めてもう一睡もできない、コーヒーを飲んでも頭が重たくてぐずぐずのダメダメ、という毎日だった。やんなっちゃう。

そろそろ、すやすやぐっすりをさせてもらえないだろうか。欲を言えば、よく寝た〜っ!と朝日を浴びながら伸びをして、ガジュマルに丁寧に水をやって、朝からヨガなんかしちゃって、アサイーボウルとか食べちゃって、整った顔にデパコスでささっとメイクをして、パンツスーツとヒールを身に纏って丸の内に出勤するキラキラおねいさんになりたい人生だった。

そんな贅沢はもう一生言わないので、健やかな眠りだけでもください神様。仲良しの先輩に、「無印の電気毛布をお腹にかけると、早朝目覚めちゃってももう一回寝れるよ!!」と教わったので明日は無印へ行く。

休んで良かったと思うなど (うれしめ)

仕事を休み、久しぶりに立ち止まったことで、私をとりまく時間の流れ方が変わった。社会に出て、働くを始めてからの約4年の月日は、後からあとから次の時間がどんどんやってくる、やってくるからその時間に追いつかれないように、自ら次の時間を手繰り寄せるように、常に全力で時間から時間へと走り続けているような状態だった、と振り返って思う。最中にいた時は気づけていなかったが、いつも何かに焦っていて、いつも何かに追われていて、いつも何かを追いかけていた。

人生のお休み期間が始まって二週間経ったいまは、大袈裟な言葉だが、「今を享受できている」と感じながら生活できるようになった。自分が生きること以外の義務は何もなく、気の向くままに何かをしたり、何もしなかったりをすることが許されている最近は、時間は何にも押されることなく、本来の流れ方でただ時間通りに流れている。それは、ゆっくりでも速いでもない、ありのままの流れ方で、"今"がちゃんとそこにあって、次の時間は朗らかにとことことやってくる。焦らされた時間がぴゅーっとやってきて、そこに何も見つけてあげられなかった空っぽの時間が、私を無視して過ぎ去ってゆくわけでも、大きくて恐ろしげな後ろの時間がスピードを上げながら追いかけてくるわけでもなくなったそれは、とても私に友好的に思えた。

そして"今"の中に、いろいろなことを見つけられるようになった。散歩の傍らに佇む葉っぱの形が分かるようになったり、お日様のあたたかさを額に感じられたり、切りたい形ににんじんを切れた嬉しさとか、体をぐーんと伸ばした時の気持ちよさとか。小さいけれど、きらきらしていて、私が地球に生きてることを実感させてくれる、私の人生が私のものだったことを新しく思い出させてくれるものたちだった。それらはこれまでもずっと私と一緒にあったはずだったけど、仕事を大切にしたいあまり、自分の頑張りを追い求めるあまり、見えなくなっていたんだと、休んでみて初めて気付くことができた。

最初から見えなくならなければ、休まずに気付けていたら、それに越したことは無かったのかもしれない。けれど一度立ち止まるという選択ができたことは、自分の人生で大切にしたいものが何なのかをこれからの私は忘れないであげるんだ、という決意に変えていけるとも思っている。


***

朝と言われる時間帯に起きて毎日お散歩できたし (朝日が眩しすぎて毎朝しわくちゃな顔をご近所さんにお見舞いしたが)、運動はそこそこできたし (運動不足なのにいきなり竹脇まりな氏の上級者向け動画を再生してしまったばっかりにアラサーが家で暴れている図となったが)、ご近所の図書館開拓もできたし (子ども用の図書館だったので子どもっぽい表情を作ることで許してもらおうとするバカな大人になったが)、塩パン作りにもトライできた (焼き立てがおいしくて一気に食べすぎてお腹の調子をわるくしたが)。

そろそろ仕事との向き合い方を考えていかなきゃな〜〜と頭の片隅で思いながら、一旦は全力拒否の姿勢でお布団へダイブするとする。



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