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丁寧に書く字に込められたもの 

連休に入り、のんびりしていたら、うっかり長女が通っている学習塾の保護者会動画の視聴期限が今晩中に迫っていた。この手のお知らせは気づかずスルーしてしまうことも多いのだが、ダラダラあと数時間過ごすより、音声だけでも聞きながら家事をした方が有意義では、と思い、イヤホンを耳にする。
 ながら聞きで良いか、と思っていたのも束の間、学習塾の講師はさすが話のプロで、思わず家事の手を止めてメモしたくなるような金言がポンポンと出てくる。教科別に先生方が説明してくれるのだが、どの先生も皆、一様に「字を丁寧に書いてください」と言っていた。

耳が痛い。

正直なところ、これまではたかが字じゃん、と思っていた。が、親の私ですら、たまに長女の漢字書き取りの採点をすると、あまりに汚い字と、留めているのかはねているのか分からないような雑な筆遣いにため息が出る。

先生が仰るには、ノートの表紙に書いている字、回答用紙に記名する字にもそれは表れるという。
ノートは提出することもあるし、落としたりした時に拾って届けてくれる人もいるかもしれない。中のメモ書きは多少汚くても自分が読めればいいけれど、記名は誰がが目にするものだ。
「この学校に入りたいです」という回答用紙はいわば学校へのラブレターのようなもの。字が汚かったら、それはどうでしょう?と。

さて連休前半、久しぶりの一泊旅行で、疲れ果てて夜遅くについた宿のチェックイン。カタカナで書くよう指示された子供の名前を、「〇〇とお読みすれば良いのでしょうか?」と、聞き返されてしまったのは私である。

誰かに見せるもの、という意識を持つこと、そこにほんのり宿る思いやりもない大人って。
ちょっと恥ずかしくなりつつ、少しだけ丁寧に書く字、というのをまずは自分が、心がけていきたいと思う。





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