「お気持ち」系というアホ

このnoteのカテゴリはコラムというよりエッセイだ。論拠を探すのが面倒だったので、裏付け・検証は自分でやってくれ。
「考え方」や「教育」といったキーワードに関連がある。


きっかけ

ある日、Twitterのトレンドに「お気持ち」「科学を振りかざして」なる言葉が上がっていた。ちょっと覗いてみたところ、朝日新聞記者のツイートが何らかの弾みで話題になったようだった。

該当のツイートは「科学を振りかざしてこれが真実だ、と言われても」で検索すると出てくるだろう。
本note記事ではその内容に触れない。
どう書いたところで、アホが都合のいいところだけ抜き出して~とか曲解して~と騒ぐからだ。一連の流れは自分で確かめてくれ。

お気持ち系とは

なお、先に述べておくが、技術系の説明において「~~という意図があって」を「~~という気持ちがあって」と表現することはあるが、この「気持ち」と「お気持ち」は違う。

本題に移ろう。

2・3年ほど前から「お気持ちヤクザ」や「お気持ち表明」という言葉がネット上に存在している。

お気持ちヤクザは「自分が不快に感じた対象は社会から見ても悪であると決めつけ、社会から排除しようとする人間」である。

お気持ち表明は「個人的な意見をネガティブな表現で示すこと」だ。
注意してほしいのは、中立な立場での発言ではないということ。

(少し話の毛色が変わるが、私が見た中で特に酷かったお気持ち系は「対象人物の心中を勝手に決めつけ、それを推察した等と言い繕い、最後にそれを批判する」ものだった。
本来のものとはかけ離れた意見をSNSで浸透させることになり、デマのような悪質さをもつ。気持ちを推察された人物には、いい迷惑だ。)

お気持ち系は、自分にとって快不快で判断し、それを周囲に押し付ける人間だ。

別に、自分にとって快不快で判断し、行動するのは構わない。
1人なら好きなようにすればいい。
しかし、その行動基準を集団に当てはめるのはNGだ。

他人に考えを押し付けない、というのは人類社会全体で暗黙の了解と化している。
世界規模で見れば、宗教や思想の違いによる摩擦は絶えず起きてきた。
考えの押し付けは、すぐに紛争へと結びつく。
住み分けが大事なのだ。

だから、「お気持ち系」は社会・集団にとって悪なのだ。

お気持ち系の増加、その先

個人的感想だが、最近はお気持ち系が増えた気がする。

SNSが発達してすぐに情報発信できるようになった。だから多くの人間はすぐに行動を起こしてしまい、「振り返ってみるとあれは良くなかった」となる機会が増えたのだろうか?
確かに、従来の衝動性の強い人が行うような短絡的行動を、行動のハードルが下がったことでやってしまう人は増えたのかもしれない。

それとも、単にアホが世間に露出しやすくなったのか?
SNS、特にTwitterは馬鹿発見器と言われる。
倫理観の無い者の行動が見えやすい位置に残るのだから、至極真っ当な呼称と言える。

さて。
とりあえず、以前よりお気持ち系が目に映る機会が増えたと仮定しよう。

割れ窓理論や集団心理からすると、自分の快不快を他人に押し付ける人間は増加する。特に、理性的・社会的な判断力のない子供は影響されやすいだろう。
単純に考えれば、周囲への迷惑を考えない人間が増え、いがみ合い、生きづらい社会になるだろう。
SNSの外まで言動は飛び出し、治安が悪化し、犯罪は増える。

結論

お気持ち系は、増えてはならない。
先述のように、一人で行動している場合なら構わないが、集団において他人への押し付けは止めなければならない

子供に関して言うならば、学校教育では勉強が身についていればマシな現状、親が十分な躾をしなければならない。

大人はどうだろうか?
年を取るほど頑固になる、というのはよく言われることだ。
考えの押し付けをする人間の大半は、変わらないだろう。
若いうちに「人の振り見て我が振り直せ」ができることを祈る。

感情のみで動くことは動物にもできる。
人間には明確に理性がある。
理性的に動くべき場合にそうしないなら、ただの動物以下だ。
人間レベルの生活は難しい。

最後に、話はズレるが

「科学を振りかざしてこれが真実だ、と言われても」という言葉には、嘲笑を覚えた。
この言葉を書いた人間は、反射的な感情でしか動いてないのだろう、と。

感じたことを好き勝手に言うことは、ジャーナリズムではない。
確かに、報道各社によって方針・主義には違いがあり、保守や革新といった見方の差が紙面に出ることはあるだろう。
しかし、対象について幅広く情報を集めて論理的に理解するでもなく、感覚や感情のみによって物事を述べるのは、ジャーナリズムではない

ネット上でマスゴミなんていう蔑称が付くのも頷ける。

情報伝達は重要である。
情報社会の現代では特に。
一刻も早く、幅を利かせている「お気持ち」記者が排除され、埋没している建設的な報道者が活躍する日本になることを願う。

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