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【エッセイ#1】カップ麺で本当のわたしを取り戻す


今日、職場で「完全メシ 豚辛ラ王 油そば」を貰った。
昨日サンプルとして各部署に配られたもので、昨日出勤している人だけが貰えたもののよう。昨日、わたしは休みだった。
それが数個余っていたから、たまたま今日出勤してそこにいたわたしにも配られた。


わたしは嬉しかった。だから喜んだ。

嬉しくて喜んだので、どんな喜び方をしたのか覚えてない。
わたしにとってそれはごく自然な喜び方だったと思う。
だって数分前のことなのに記憶にないのだから。


だって「ラ王」って高いのだ。
だって今日のわたしは晩ご飯が決まってなかったのだ。
だってこの「ラ王」も食べたことなかったし、何よりカップ麺を貰えるなんて思ってもなかったのだ。


「あなたが一番喜んでる。リアクションがいい。カップ麺でこんなに喜ぶなんて」


先輩に驚かれる。

わたしも驚いた。
(だって普段貰えないものが貰えたから喜んだだけなのに。しかも絶対美味しいじゃん。
喜ばない理由なんてないじゃない。)
という気持ち。


そうしたら別の先輩が嫌味ではなく

「いいねえ。400円でこんなに喜べるなんて。いいことだ。」

と微笑ましく言った。
わたしは一体どんな喜び方をしたのだろうか。
確かに、400円はわたしの趣味のダイビングに比べたらすずめの涙ほどの金額だ。


でも、金額は関係ないのだ。
わたしはただ純粋に嬉しかったのだ。


そうしたら「ラ王」を配っている人が
昨日各部署に配ってここの部署が一番反応が良かったから
余った分をここに配りにきたんだよ、と笑顔で話す。

ということは、
今ここで「ラ王」を抱きしめてにこにこのわたしは
この職場で一番「ラ王」を喜んだ人間ということになる。


そうだった。
わたしは嬉しいことを素直に喜べる人間だったことを思い出した。
嬉しいことを嬉しいと素直に表現できる人間だったのだ。


去年、好きな人にないがしろにされた。

その人はわたしがちょっとのことで喜ぶと
「男に遊ばれてそう」「あんまり大切にされてこなかったんだね」「俺は違うからね」と笑顔でいう。


結果、過去一番ないがしろにされたけど。

その人はその発言でわたしだけでなく、わたしが好きだった人たちまで否定する。


わたしは、わたしがなんでもかんでも喜ぶから
軽く見られるんだ、見下されるんだ、図に乗られるんだ、と勘違いした。

だから、いろいろなことを素直に喜べなくなってしまった。
いいなと思った人にはやさしくしたいのに、何となくやさしくできなくなってしまった。
嬉しいと思いかけて、気持ちにブレーキをかける。
わたしはだんだん偉そうになって、どんどんかわいくなくなる。



でも別に、感じたままに喜んでもよかったのだ。

その人が失礼で、わたしを見下して悦に浸ってた事実があるだけだ。
別に今まで好きだった人たちがわたしにそんなことを言っているわけじゃないのだ。



「ラ王」を食べながらその事実に気づく。

「そんな失礼な人間の美意識って信用するな値しなくないですか?」某漫画のセリフが横切る。


なるほど。

きっと、わたしは「ラ王」を見るたびに思い出す。
スーパーで、コンビニで、ドラッグストアで。
嬉しいと思ったら素直に喜んでいいことを。
そんな当然のことを思い出す。

今日の晩ご飯は世界で1番おいしい。



っていうことがあって、こう思いましたっていう話!🙏
普通のことですがこんな話がなくても、
ラ王とってもおいしかったです!

某漫画っていうのはメンタル強め美女白川さんです〜🙆‍♀️

エッセイ初めてかいてみました〜
これであってるのかな🤭

もう引きずってるつもりはなかったけど
奥底でひきずってたのかなってあう🙊


ちょっと高いけど栄養ばつぐん完メシ!
ぜひ食べてみてください💖

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