ゆっきー
日々の仕事をこなし たまの腰痛ともうまく付き合ってたはずが、痺れが出現し一気に不安に襲われた。治療院に通い始め 本物の治療家のちからを思い知り、同時に己に時間もお金もかけず、ほったらかしな日々を反省。治療を続ける男の巻き
治療を進めたあと、立ち上がり 『どうですか?右足の感じは?』 少し変化した感じはするものの、分からないので いつものように 痺れた箇所を触る。 まだ痺れてる 『あんまり・・・』 こういった 痺れや痛みが 100→1になってたとしても、受けた側は 【以前のように0ではないから、痛みがある】と感じ、変わらないと思うらしい。 重箱の隅をつつく。その言葉を言われたのだが(爽やかに) 痛みが減っていても、それは わからないのかもしれない それに痺れがあると気にしてる場所
本棚に並ぶ本の背表紙。ここから見たら全巻揃ってる。だけど、中身があるかどうか、左から5冊目の 5巻の中身があるかまでは 背表紙はあれど、見えない。わからない。 ヘルニアの説明のとき、レントゲンでヘルニアの言葉を出され 落ち込んで 説明した僕に 治療院の先生は丁寧に説明してくれた。 MRIでしか ヘルニア診断は出来ないこと。また、そこでヘルニア診断されても、それが実際に神経を圧迫してるのかまでは 断言出来ないこと。(背表紙の話) 画像上は そうでも、必ず その診断が真実か
professional そんな言葉しか浮かばない男 出会った 1週間ほど前に 膝下から足首にかけて感覚が麻痺してる感じがして、腰痛も重なり 医者へ行くと 椎間板ヘルニア 脊柱管狭窄 2つの言葉を聞いた あー、これ治らんのかなぁ 落ち込み。イライラ 寝れば治る類いでもなく、寝ても起きてもモヤモヤ 6年前に骨折のとき お世話になった治療院 この施術を できるひとこそ治療家と呼ぶのだと 体感した これまで受けたマッサージは 遊びだ そうしか現せない次元
こどもの顔色を見てたんだ。自分の顔色を見られてる意識をしながら
満点の💯父親に相変わらず なろうとしてた。そんなわけないのに
景色が なにかを1枚 かませた風に見える いつからか 覚えていない 言葉と連動して呼吸が浅くなっている 悩みは無いのに この頭の中の おしゃべりで 呼吸が浅いままなのが悩みだ 悩みは無いのに 膨大な言葉たちが あーだこーだと頭のなかを流れ、それは決壊し 体に入り、そこからも塞き止めれず 怒りとして 声に出る おーーー!!! 叫んでもスッキリすらしない 悩みは無いのだろ? 質問する前から分かってる 答えは出ない 問題は無いのだから 頭のなかのおしゃべりに
ある日の勤務先で メールに気づいた。 妻からだ 『お父さんが来たよ』 その言葉の短さに からだは硬直し、血が煮えたぎる 戦闘の意思が腹で吹き出し、狂気は顔をそろえ もう前へ行くしかない憤怒が 立ち上がる。 『なにもされなかったか?』 その言葉を送り、仕事が終わり 急いで家に帰った こどもは無事なのか 妻はなにもされてないのか 体に傷を負わされたのではないかと 心配は膨らみ 並行した怒りは 信じられないほどの大きさを持った 帰宅したらたちの姿は無く 既に帰
母を連れ戻す作戦は幾度も失敗した。母は再婚をしたのだが、そんなこと関係なく父は連れ戻そうと躍起になっていた。 相手の男を交通事故に合わせる 探偵を使い調査している 協力的でなくなった僕には 定期的に父から手紙がきた 【家庭を崩壊させたのは誰だ?】 お前だろ!!と手紙に即答したが父に言えぬ勇気のない僕は変わらなかった 殺してやる その言葉を何十年と浴び続け、平気なふりで自分を騙してたが、そうはいかず心はじわりと病んでいた しびれを切らし1000キロを運転し 直接父
母に連れられ 離れた病院へ行った 学校の授業が終わり、10分の休み時間、すべてはトイレに入っていた。トイレに行きたいわけじゃない、行くしかない不安に包まれていた。毎朝 憂鬱で逃げ出したかった。登校拒否になり、たまに行く学校は 楽しさはあったが、一番に お腹が気になるから 授業中にクラスメイトが後ろから背中をツンツンして呼んでも、激怒するほど 息をこらし過ごしていた。この症状は社会人になり6年完治した。そして、また、症状は出ている。治る希望は 捨てていない。弱々しいが 心は言
暗闇を駆ける自分には明るい光が見えていた。 父から離れられることは イコール 幸せだった 家を出る決断をした母にも感謝しかなかった と言っても この 家出は記憶だけでも2回あり、そのたび 居場所がバレ 連れ戻される結末なのだが・・・ 闇の中 タクシーを捕まえ どこか知らぬところへ走る どこ行くの?なんて どーでもいい 違うところへ行ければ それだけだった しばらくして到着し、建物の階段をのぼり 玄関を開け 室内に入った。玄関を内側から見たら とても濃い緑色だっ
『死んでしまいたい』 久しぶりに聞いた母の声は 強烈なネガティブで回線をつたい 届いた。 数十年前に離婚をした両親 そこに至るまでにわたしが見た 真実 そんなことを 気づいたことを いま、親となり 気づいたことを綴り 心を書いていこう 幼い頃のアルバムに 弾ける笑顔の私の写真。広い庭には まるで公園のようにタイヤの半分が列をなして顔を出し その上をピョンピョンんと跳ねてる私が間違いなくそこには居た いま 思いだそうとしても、その後に起きる 不幸味の緊張感のある毎
誰かが誰かを好きだ嫌いだ成長できるのになど話してきても 自分が その人を好きなら 好きと言おう その自分で居よう 合わせなくていい #好きなら好き #合わせなくていい