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「死なない」という絶望~ロスト・ケア~

映画化されて話題になっている、葉真中顕さんの
「ロスト・ケア」を読みました。

母親が晩年に認知症を患っていたことや、いま働いているNPOで地域包括ケアシステムの研究会に参加していることもあり、これはもう、スルーできない作品なのであります。

映画のプロモーションがすごいので、主人公は(最初から犯人がわかっているというネタバレ状態!)松山ケンイチさん演じる介護士と、それに対峙する長澤まさみさん演じる検事(原作では男性)であるとご存じの方が多いだろうと思いますが、私は脇役である、介護士によって母親をあやめられた女性のセリフが、一番ど~んと心に響いておるのです。

洋子はこれまで日本が長寿国であることを漠然と良いことのように感じていたが、それは大いなる誤解だと気づいた。
人が死なないなんて、こんなに絶望的なことはない!

葉真中顕「ロスト・ケア」単行本のP35より

老後資金「2000万円」という話が炎上気味にバズったのは、いつのことでしたっけ? 歳月の流れは早いですね。麻生さんの発言でしたかね。

あのときは、自分自身の老後に思いを馳せて、いま生きているのに必死なのに、リタイアまでに2000万円貯めておかないと知らないよ~ って見放された気がして、不安×落胆=政治に対する不信と怒り になったのではないかなぁと、私なりに解釈しています。

その後、2000万円なくても大丈夫説(?)もいろいろ出てきて、騒動は収まりました。が、両親をすでに見送り終わった私からすれば、自分の老後の心配をする前に、まずは親(義理の親も含む)の老後が無事終わるかどうかが課題なんだけど・・・と思ったりします。

私は、当時の平均からすると、親が年齢を重ねてから生まれた子どもだったので、自分が30代の頃から親の老いを意識するようになり、実際に40代のうちに入院だの施設に入れるだのというリアルがやってきました。
うえに兄と姉がいたうえに、彼らが医療従事者で医療・介護に関する知識やネットワークを豊富に持っていたので、私の負担は一般に比べると軽かったはずです(とくに、長兄のパートーナーさんには感謝しかありません)。が、それでも翻弄されて、フリーランスのスケジュールがぐちゃぐちゃになり、しんどかった時期はありました。

ですから、シングルマザーで介護をする「洋子」の気づきが、どんなに絶望的だったかを想像すると苦しいし、多くの人が同じような気持ちになりながら、それを口に出してはいけないのではないか? 自分は酷い人非人なのではないか? と悩むような気がするのです。

作中では、介護現場の様子もリアルに描かれています。
真面目な人ほど、危ういという指摘に、100%賛同します。介護職に就く人は、もともと献身的で優しい人が多いですが、それがゆえに無理をしてストレスをためがち。
報酬がもらえる仕事だけでなく、ボランティアでも同じなんです。

地域の人たちの暮らしをよくするために!

と立ち上がったボランティアやNPOの関係者が、潰れてしまう例は珍しくない。おそらく、30年間そういう事例をイヤというほど見てきたんでしょうね、私が働くNPOの代表は、ことあるごとに、

「あの人は動いてくれる人だけど、負担が偏らないように」

と、活躍中のボランティアさんの❝頑張りすぎ❞をチェックして、配慮してあげなさいと指示を出すのでした(それは、職員に対しても同じ)。

一方で、悪いことをするのが平気な人もいます。

キセルができる場所ではキセルをするのが当たり前だ

葉真中顕「ロスト・ケア」より

必要悪といいましょうか、それくらい誰でもやっているじゃん🎵
みたいなね。水増し請求、脱税etc.
似たようなグレーゾーンの行動であっても、
「それはズルいのでは?」と思うものと、「それなら見逃してあげて」というものがあります。

たとえば、「介護保険制度」の対象になっている「リハビリ」は、専門家がついて器具を使ってガッチリやるけど、保険のおかげで安価に収まる。
ところが、被保険者であるところの高齢者が、心からやりたいと欲する「近所を散歩する」という行為を介護士がサポートするのは、保険外になってしまうのです。やるなら、高い料金を支払ってもらうのが法律の上では正しいのです。

そして終盤。

主人公の介護士は、高齢者をあやめることが、正義か悪かを問うてきます。当然、検事は悪いことだと答えるのですが、読んでいる私たちは複雑な心境です。介護に苦しんでいた人たちが救われているし(裁判での証言を求められて、洋子が葛藤するシーンは印象的)、世の中でセーフにされているグレーゾンの悪事はどうするのか? 裁けるのか?

「オレオレ詐欺」も描かれていますが、犯罪に手を染めた人たちが、それは社会に空いている穴を埋める行為だと言われると、詭弁だと思いつつも、モヤります。

穴を埋めるすべ

が、ほかにみつからないからです。

冒頭と末尾に出てくる聖書の一節は、プロテスタントの学校に10年間通っていた私にとっては馴染み深く、大好きな考え方でもありました。
社会人になってから、社内標語の公募があったときに、この一節をもじってエントリーしたことがあるくらいです。

おひとりさま かつ フリーランスの私は、
家族の「絆」や、組織内の「絆」を、あまり頼りにしていないところがあります。その分、地域コミュニティへの関心が高いのですが、「絆」と呼ぶほどの強いつながりを求めてもいません(家族に対してもそうだったので、親の過干渉が苦手でした)。

手枷足枷にならない程度の、ゆるーい紐帯。

難しいでしょうが、それが「穴を埋めるすべ」になると感じています。
そこに国がお金を注いでくれる制度があるでしょうか?
いまのところは、見えにくい場所に穴を増やしたり、空いた穴が深くなるような施策のほうが多いような気がしています。よかれと思ってそうなっているのか、それとも・・・?

人生後半のリソースを、穴を埋めるアクションのために使いたい。

あらためて、そんなことを考えたのでした。

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