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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記33.どんな経験にもムダはない

社会で生きるということは、他人とうまくやっていくことだと思っていた。

ヒトとうまく渡り合えること。
誰とでもそれなりに気持ちよく過ごしてもらうこと。
そして、誰か、とても気の合うヒトともっと仲良くなれること。

社会人としての第一歩で2年ももたず会社を辞めたことで、ワタシのなかには「失敗した」「人間関係がニガテ」そんな刷り込みができていた。
そしてそこを、自分なりに何とか払拭できないものかと思っていた。努力すればなんとかなるかも、と思っていた。

一方で「役者になる」という夢はすっかりあきらめていた。あんなに恋焦がれたのに、たった3年くらいやっただけで
自分には能力がない
だからダメなんだ
だから会社で働くしかないんだ
事務の仕事なら経験者だし、何とかなるだろう
と思い込み、その先に進む努力をまったくしようとしなかった。

おカネさえ手に入れられればいい
まあ、事務の仕事でガマンしよう

そんな、事務職の皆さんには非常に失礼な態度で、ワタシはその時期派遣の仕事をやっていた。

さて。
そんな形で会社勤めを再開したワタシは、なぜかヒジョーにモテていた。というより、おカネを稼いでいるという安心感からか、ワタシは毎日とても楽しく、いってみれば「自堕落」な生活に身を落としていた。

別に高潔な生活を送るべきなんて思いはさらさらないけど、それでも、毎日のように飲みに行き、カレシと楽しい時間を過ごす”だけ”の日々は、今思うと何も生み出さない。

まあ、おそらく、だからこそそんな生活になってしまったのだろう、とは思うけど。本当に向き合わないといけないことは別にあるのに、ワタシは”よそ見”をしてた。それを忘れて、いわば妥協して派遣の仕事を続けていたのだから、生活がむなしいものになるのは仕方ない。
※当時はエンジョイしてたつもりだけどね。まあ、そういう(ムダと思われる)時間も必要なのだ、人生には。

母はワタシが25になるまでは「結婚しろ」とうるさかった。自分がワタシを産んだのが25だったからだろうと思う。しかし25を過ぎたらあきらめたのか、ぱったりとそれが止み、そしてワタシはその頃ようやく、家を出る決心をした。

しかし、ワタシのひとり暮らしにはオトコがいつも絡んできた。ひとり目は超有名なネットワークビジネスを勧めてきたオトコで、ワタシの部屋を拠点にしようと目論み、住み着いてきた。
そのネットワークビジネスでは、ワタシはたくさんの友人を失った。

はじめてネットワークビジネスというものを知ったとき、ワタシはものすごくワクワクした。

すごーい!!
ホントにそうなったら、なんてステキなんだろう!!

そしてそのテンションのまま、友だちに話したのだけど・・・なぜだかみんな、とっても反応が悪かった。次第にワタシは(これはあんまり歓迎されない話なんだ)とわかってきた。
しかし、そのビジネスのミーティングとかに参加すると
「そんな苦境もものともせず伝え続けて成功し、いま年収〇千万のなんとかさんの話」とか
「こんなに誰にでも成功が用意されているビジネスはない」とか
気分のあがる話ばかりを聞かされ、単純なワタシはまた(そっか。そうだよな、よし頑張ろう)とスイッチが入ってしまうのだった。

単純で前向きなところはワタシの特徴のひとつだが
相手の感情を読み取るのが超絶得意な「繊細さ」も併せ持っていること
そしてそれが、ある意味「鈍感力」必須のこの手のビジネスには全く合ってない
ということに、もっと早く気づくべきだった。

そう、ワタシはこんな感じでさまざまな失敗を重ねてきた。
もうお願いだから一生思い出させないで!!と頭を抱えてしまうような、恥ずかしい失敗や暗い過去のオンパレード。
でも、だからこそ、いまのワタシがある。
それだけ失敗を身をもって経験したからこそ語れる、厚みのあるw人生観がある。

どんな経験も決してムダではなく、
生きてさえいれば絶対それが活きるときがくる。

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