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先生=スゴいヒト、ではない

これも以前の記事で言ってるかもしれないけど…(前回のつぶやき参照)

まあ、大事なことだから何度も言うわ。

自分が何かを教わってる、いわゆる”先生”
自分が憧れてるあのヒト
年長者、お金持ち、有名人…

みんな「自分より優れてる」わけじゃないんだよね。ただ何かの分野では素晴らしい働きをしているってだけ。だから、その分野で学びを得ることはとっても有意義だし、そのヒトの得意分野については敬意を払うこともアリだとは思うけど、だからってそのヒトが360度すべての方向から見て優れてるなんてことは基本、ない。なんなら何かの分野で優れてるヒトは、別の部分例えば人格とかは(ん?)ってこともあったりする。

以前のワタシはそう思えていなかった。おカネをもらって何かを教えているヒトの言うことは全部正しいと思っていたし、人格もデキていると思ってた。このヒトに教わろう!と思って、高いおカネを払って、教わる内容は素晴らしくめちゃくちゃためになって「あぁ大好きだ~よかった巡り合えて♡」と思っているのに、なんか、とある受講生に対して当たりがキツイ。
「だからさーそれは合わないって言ってるじゃん」
「〇〇ちゃんって××だよね」
なんて、そのヒトの人格にまで踏み込む発言までしてきて、言われてる本人はヘラヘラしてるけどもう聞いているこっちは辛くなってくる(まあこれも、今だから思うけどワタシのもつ特性ゆえに、ヒトの気持ちに共感しすぎてしまっていたのだろうけども)。

こうなるともうダメだ。その先生を尊敬できなくなるしもう、会いたくもなくなる。そのヒトを信じて受講しに行った自分さえ否定したくなる。

その繰り返しだった。

だけど最近気づいたんだよね。
あれ? もしかしてこの先生も人間としては未完成で、成長途中なのかな、って。

考えてみれば聖人みたいなひとがあちこちにゴロゴロしてるわけがない。見た目カンペキそうにみえるあのヒトも、お金持ちで悩みがなさそうなあのヒトも、みんなデコボコ、なにかに悩んでる(ハズ)なんだ。

そう思えたら。
少し気が楽になった。
許せたわけじゃないけど(笑)

よく有名人とかが何かするとみんなが一斉にたたき始めるけど、陰があってこそ光がより輝きだす。まぶしいヒトほど闇を抱えてる。みえないとこでもがいてる。ずっと光だけのヒトなんて存在しないのよ。だって役者修行してた頃は「クズであれ」って言われてたんだから。これは個人の考えだけど、芝居に関していえば聖人君子のやる芝居よりどうしようもないヒト(どういうヒトだw)の芝居のほうが面白い。人生の振り幅イコール芝居の奥行だから、どうしても経験値のあるほうがリアルで迫力が出てしまう。
(逆に経験してなくて芝居できるのは前世の記憶か相当な想像力の持ち主か!? なんにせよスゴイと思うけど)

どんなひとでもアナタと同じ。みんな発展途上なんだよ。




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