同窓会

あの時はごめんな。

この一言が言えればどれだけ楽になるだろうか。でも、君のまっすぐな目を見ると、重苦しい過去は語れなくなる。ただ、薄っぺらい話でゲラゲラ笑っていたい。

僕はたぶん誰とでもうまく付き合えるタイプの人間だ。人の懐に入るのが上手いわけでもないし、ノリが良いわけでもないが、誰とでも同じように程よい距離感で接することができる。と思う。

そんな僕だったが、中学高校と気まずい関係になってしまった人が何人かいる。つまり、僕が誰とでもうまく付き合えるタイプだというのは自分の思い違いだったわけだ。まあ、ここでは人付き合いが得意か不得意かということはどうでも良い。友人と気まずくなってしまったという罪悪感は、20歳になった今でも僕をきつく束縛し、闇の世界へと連れ去ろうとしているという点で問題なのだ。その原因は明らかに僕にある。懺悔の鎖は僕をいつまでも縛り付けるし、罪悪感という刃は常に僕の喉元をかすめている。下手に動けば、真っ赤な血が空へと吹き出してしまいそうである。

僕はひとつ心に決めていた。同窓会で彼らと再会したときに心の底から本気で謝罪して、罪深いモヤモヤした気持ちを取っ払ってしまおうと。楽しい同窓会の雰囲気をぶち壊して、冬の寝床の隙間風のように冷たい風を送り込んでも構わないと強い思いで覚悟を決めていた。たかが数人と気まずくなったくらいで大げさだと感じる人もいるかもしれないが、これは僕にとっては重大なことだったし、何よりも罪悪感が消えて欲しかった。今後も関わっていく彼らと次のステップへと足を踏み入れる必要があった。それに彼らは今後も僕を高めてくれる、とてもとても重要なトモダチだから。

同窓会。彼らと再会した。乾杯してたくさん語り合った。笑い合った。はたから見ればただの仲良し。その時間は幸せなものに違いなかったが、僕は謝るタイミングをうかがった。
ただ謝るだけでなく、気まずくなった原因は何なのか、そのときどういう心境だったのか、どうすればよかったのか、すべてをありのままに語ろうと思っていた。その上で言う。自分が悪かった、ごめんって。でも、彼らのキラキラした瞳を見ていると、どうしても伝えることができなかったんだ。過去のことなんか気にしてないって瞳で訴えてきた。自分がちっぽけに思えた。結局、最後まで同じ場にいながら、謝ることはなかった。

言えなかった。その思いは数日経って蘇ってきた。時間が解決してくれるのを待つより他にないのだろうか。

僕はこれからも後悔と罪悪感に縛られた人生を送っていくだろう。謝る機会をうかがって決心するたびに挫折するに違いない。

ああ。
僕は彼らと仲直りするよりも先に、罪悪感というやつと仲良くなってしまいそうだ。


#同窓会
#友だち
#中学校
#高校
#成人式
#再会

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?