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チェコが最後の親子旅行になった

最近、家族でどこかお出かけしたり、旅行にいったりしましたか?

…と、いきなり冒頭で暑苦しい質問ではじめてしまった。そんなことを聞いておきながら、親子関係もそれぞれで、さまざまな家族の形があることはわかっている。だから一概に「家族旅行、いいですよ〜!!」なんて、到底言うつもりはない。

だけどなんとな〜く今ならいけるな〜、と言う軽いテンションで決めたその旅が、最後の旅行になることもあるということは、覚えておいたほうがいいかもしれない。
国内でも海外でも近くても遠くても、それは後から、「あの時行っておいてよかったな」と思うことにある。せっかく行ったなら、その記録は、自分なりに残しておいたほうがいい。写真、日記、手紙、お土産、チケット、スクラップ。どんな形であれ旅の形を残すこと。その大事さをひしひしと感じた旅があった。

2015年の夏、チェコ共和国へ行った。

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ドイツやオーストリア、ポーランド、スロヴァキアと隣接している中央ヨーロッパの国。
私は、チェコが大好きだ。
これは大好きな国チェコへ、父と母と娘の三人で訪れた時の話。

憧れのチェコへ、10年ぶりに行くことにした

私が大学生だった頃、日本で、サブカルチャーとしてチェコのアニメーションが流行った時期があった。その作品たちの手作り感の可愛らしさや美しさに加え、そこに同居する「暗さ」と「不可解さ」にぐっと惹かれたのだった。その魅力に取り憑かれ、憧れを最大限に募らせた頃、はじめてチェコに行った。5日間の、友達といくはじめての海外旅行だった。憧れのチェコへ行ったあのときの興奮が忘れられなくて、私は10年ぶりに、ふたたびチェコ共和国に行くことを決めた。

10年前は大学生だった私は30代になって、「絵はんこ作家」という自由度の高い職業になっていた。せっかくいくのだから、今度は、20日間の長旅にして、がっつりとチェコを周遊して見てこよう。そしてチェコのはんこを彫ろう。そうして私は旅に出ることを決めたのだった。

職業以外にもうひとつ、10年前と変わったことがある。それは、父が『若年性認知症』になったということだった。父は当時62歳。以前は海外で仕事をすることも多く、単身赴任までしていた。この時点ではまだ日常生活を送ることはできていたが、自分で海外を旅行することはかなり困難だった。それでも海外旅行に行きたいという願望が捨てきれない父を見る一方で、母と父が二人で旅行することも母への負担が大きすぎることもわかっていた。

「父と最後の海外旅行」と思っていたのに

そんな家族の状況と、自分がチェコに行くと決めたこと。そんな点と点が結びつき、私は父と母と、三人でチェコに行くことを決めた。もちろん全期間でなく数日間、たったの3泊4日。自分のやりたいことと親孝行?も兼ねられるなら一石二鳥ではないか。ちょっと勇気がいる行為だけれど、今しかないと思い、母と私で勢いをつけて予約手配を進めた。
「父との最後の海外旅行になるかもねぇ。」
そんなことを母と二人で話していた。

そしてこの旅の3年後、母はがんで逝った。病気も見つかる前のこのときは、これが母との最後の海外旅行になるとは、到底思っていなかった。

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親子旅にちょうどいい「チェスキー・クルムロフ」

親と旅行するということは、自分ひとりの旅行と色々なことが異なってくる。まず、成田空港へ向かうところから違うのだ。普段私は、最安の方法である京成バス(東京駅〜成田空港間:片道900円)に乗る。でも今回は両親と一緒なので、成田エクスプレスだ。ひとり旅より少しずつ物事をグレードアップさせられるのが両親との旅行のポイントかもしれない。

両親を連れていくにあたり、行く場所もきちんと選びたい。初めてチェコに行く両親にとってはプラハも外せないけれど、せっかくならもう一都市行こう。
・比較的わかりやすく絶景ポイントがある
・小さめの都市で、回りやすい、買い物しやすい
・アクセスが良い

これらをポイントにして選んだのは、チェコの中でも王道の観光地である「チェスキー・クルムロフ」。

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プラハからはバスで約3時間、片道1000円ほどでいける。3時間と聞くと長い気もするけれど、「Student Agency」というバスを使うと、座席も広々していて、飛行機のように座席にテレビが付いていたり、車内ではコーヒーを入れてくれるサービスもあるので快適だ。ヴルダヴァ川に沿うように南下して、少し足を伸ばせばもうオーストリア、という場所。

こぢんまりした手作り感のあるホテルに泊まったら、屋根裏部屋みたいな部屋から見えた景色が、すでに可愛すぎた。

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可愛かったホテルの屋根裏部屋を思い出して、旅から帰ったあとにはんこを彫った。ちょうど奥の扉をあけて、バルコニーに出て見えた景色が先の写真。

写真右側に見えている緑の屋根の建物がチェスキークルムロフのお城。そこにはクマがいたのだった。毎日いるわけではないらしく、行った日に会えたのはラッキーだった。

チェスキークルムロフは小さい街なので、名所であるお城までで道のりを囲うようにして買い物しやすいお店がたくさんある。ふと立ち寄った洋服屋さんで、父が帽子を試着した。チェコ人なら似合うのだろうか、やや派手なデザインの帽子をさまざまな試着する父を、店員さんは正直な表情で、苦笑いしながら眺めている。私や母も「ちょっと派手すぎでしょ」とつっこみながら、気がつけば父はひとつ帽子を購入していた。買う段階になっても店員さんは苦笑いしていた。

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ストリートミュージシャンとエゴンシーレを追いかけた母

ハートの強いマイペースな父が帽子を買って浮かれていた頃、母はというと、ストリートミュージシャンに夢中になっていた。(演奏もビジュアルもよかった。)写真やムービーを熱心に撮っていた。母はミーハーなところがある。

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もう一度母がときめいたのは、エゴン・シーレ美術館に行ったとき。美術館は小さいながらかなり雰囲気のある建物で、その時点で母は大喜び。28歳で早逝した天才の人生が濃縮された展示だった。ドラマチックすぎるとも言える彼の人生にときめいた母は、ミュージアムショップでグッズをたくさん買っていた。母は音を立ててときめくのが、なんだか可愛い。

チェコ人女子をナンパした父

帰り、快適なバスの帰り。私たちは三人だったので二人席に座らずに、後部座席に横並びで座っていた。
父の隣の窓際の席には、女の子が座っていた。
私と母が目を離していた隙に、ふと気づけば、父がその女の子と英語で会話しているではないか。話に割って入ると、どうやらPCで作業をしていた彼女の画面を覗き込んで、「何をやっているの?」と聞いたそうだ。普通そんなことするか?怪しい東洋人のおじさんよ…。しかし彼女はフレンドリーだった。「学校の宿題をしているの」と答え、プラハの映像学校の生徒で、チェコ育ちのチェコ大好きな女の子だと言うことを教えてくれた。その後彼女とはまた旅行中に落ち合うことになり、私のはんこのモデルになってもらうことにもした。父がつないでくれた、不思議な出会いだった。

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「そのとき」にしかできない旅がある

正直行って、この旅が自分の人生を変えたなんてたいそうなことは言えない。だけどあのときに行ってよかったと強く思う。同じ場所にはいけても、今はもう、同じ旅は出来ない。

両親との旅から帰ったあと、私はチェコ旅行の写真を集めてフォトブックを作った。それは、どれだけ楽しくてもすぐに忘れてしまう父のためだった。そしてこのチェコ旅ははんこもいくつか残した。父がナンパした彼女のはんこだってある。その時は深い意味なく残していた記録のひとつひとつが、あの旅を思い出させてくれる。もしも行き先が私が大好きなチェコでなかったら、ここまで律儀に記録を残せていなかったのかもしれない。

この旅の4年後、母が他界して間もなく、私は『チェコ親善アンバサダー』のひとりに選ばれた。それが実を結び、チェコ親善アンバサダーとして現地取材にも行けることになったのだ。

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だから今年、私はまたチェコへ行く。そしてきっと頭の中では、「ああ、ここで母はときめくだろうな。こんな服は父に似合うかもしれない…いや、また苦笑いされるだろうか。もし今度両親を連れてくるなら、リトミシュル か、ミクロフもいいな」なんて、具体的な候補地まで挙げつつ、実を結ぶわけでもない想像をしながら、私はチェコを歩くのだろう。

あのとき父がナンパした彼女にも、また久しぶりに連絡をとってみようかなと思う。

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久しぶりにフォトブックを見返した。
やっぱり、少し泣いた。

もし、大切な旅の写真をデータとして眠らせている人がいたら、一度フォトブックにしたり、写真を印刷することをおすすめします。やっぱり手元にあるって、うれしいものです。

あまのさくや 絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/

*父と母にまつわるコミックエッセイ「時をかける父と、母と」が、おかげさまで、コミックエッセイ大賞 準グランプリを受賞しました。

*10月に、1ヶ月ほどまたチェコに行きます。エッセイと、旅の手引きも含めた旅行記を執筆させていただける媒体さまを探しております。どうぞお問い合わせください。

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