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時をかける父と、母と

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若年性認知症の父と、がんで逝った母について、30代の私が記録したエッセイ。幻冬舎×テレビ東京×noteのコミックエッセイ大賞にて準グランプリを受賞。
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記事一覧

「認知症」にまつわるおすすめ作品6選

先日、拙著『32歳。いきなり介護がやってきた。ー時をかける認知症の父と、母と』が発売されました。 認知症という病気について改めて考えるようになったのは、父の病気がわかってからのこと。そしてその病気のことを必死に調べなくては!という思いよりも、何気な〜く手に取った作品ほど不思議と心揺さぶられたりする。そんな作品たちを紹介したいと思います。 介護家族の視点で見る部門長谷川 嘉哉著 『ボケ日和 ーわが家に認知症がやって来た!どうする?どうなる?』 (かんき出版、2021) 介

父のfacebook魚拓①

2015年で自分の更新が止まっている父のfacebook投稿。 よくわからないままに触っては変な言動を繰り返している父が当時はちょっと恥ずかしかったけど、今は当時の父のリアルタイムな投稿や、貴重な母の動画などもあったりして、立派な家族遺産となっている。 いつか何かしらの理由でアカウントに辿り着けなくなる時に備え、たまに遡って、魚拓を取っておこうと思う。 こちらは2012年10月の父のfacebook日記。 認知症の兆しがバンバンと見える中でアメリカ単身赴任していた頃の投稿

認知症の父から見える世界

私の父は若年性認知症だ。そして私は現在35歳。要介護3となった父は有料老人ホームで暮らしている。 「さくやがきてくれて、この生活に光が見えた」 有料老人ホームに入所したばかりの父が、訪れるたびに私に言った言葉だ。新しい暮らしが嫌だという文句を言わないかわりに、父は何度かこう言った。それを聞くたびに私は、ほんのり心が暖かくなりつつも胸が痛んだ。 そしてその言葉の意味を考え、父から見える世界と私の役割を想像してみた。それはこんなイメージだ。 「光」の意味をしばらく考えて、

老人ホームにいる父とテレビ電話する方法

いま、私の父は有料老人ホームに入所しています。 この施設は早々に感染症対策を取り、2月末から家族の面会はできないことになっていました。2月末に、「3月末までは一旦面会禁止とさせていただきます」という連絡を頂いた時は、『結構大げさだなあ、まあ長く言ってるのだろうな』という印象を抱いたものでした。 それでも、認知症の父と一ヶ月以上も話せないとなると、私のことを忘れてしまうのではないか…?という懸念もあった。そして父への連絡手段も、施設の電話にかけるしかない、という状態だったの

認知症のなかで「確かなもの」ーNHKスペシャルを見た

Where are you? Where am I? Where is Mizuko? 「あなたはどこ?私はどこ?瑞子はどこだ?」 認知症医療の第一人者であり、「痴呆症」という呼称を現在の「認知症」に変えることを提唱した人でもある、長谷川和夫さん(90)が、自身が認知症になったあとの日記に出てくる言葉だ。瑞子は長谷川さんの奥さんである。 「生きている上での確かさが少なくなってきたように思う」ーと、長谷川さんは繰り返す。曜日が曖昧になり、予定が把握できなくなり、行き慣れ

認知症=「不幸」な病気と呼ぶ人へ

私には若年性認知症の父がいます。 以前、父と我が家族についてnoteで連載していた「時をかける父と、母と」のエッセイがこのたび、cakesにて連載スタートしました! ぜひ読んでほしいな…と思いnoteでこの記事を書いているところで、 ふとtwitterを開いたら、認知症のお父さんを亡くされたかたのツイートを見ました。 認知症の父のメモを見るのってつらい。きっと奥さん(母)に叱られながら、忘れていくできごとを必死に書き留めて、苛立ったり喧嘩したり落ち込んだりしながら葛藤した

『時をかける父と、母と』 vol.1

父は66歳で、若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。一方で母は61歳で、がんステージⅣと診断された。そんな33歳の娘がイラストも含めて記録したエッセイです。 『時をかける父と、母と』vol.1 はじめに我が家には、時をかける少女、ならぬ、『時をかける父』がいる。 主な生息場所はリビングのソファかダイニングテーブル。大概テレビを見ているか寝ているか食べている。 父は66歳。若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。 今日は何日? いまは昼な

私が笑えるために書いた -『時をかける父と、母と』Vol.2

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.2 私が笑えるために書いたさて、ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。 認知症の家族が大抵そうなっていくように、日々同じ質問をされたり、様々なことがわからなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることなど、到底できない。 いままで私には大きな反抗期がなく、洗濯物を一緒に洗わないでほしい時期もなか

かつての父はアメリカ人 -『時をかける父と、母と』 vol.3

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.3 かつての父はアメリカ人父は本来、アメリカ人みたいな人だった。 わりと豪快な性格で、家族(特に娘)に甘く、外資系企業で勤めていてよく働き、ぺらぺらと英語をしゃべり、比較的誰とでも仲良くなるが合わない人とは合わないと決別する、フランクな性格。 基本的にはレディファーストで、人の後ろを歩くのが好き、というか後ろを歩かれるのが好きではない。ちなみに父はゴルゴ13では

認知症ではありません? -『時をかける父と、母と』 vol.5

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.5 認知症ではありません? 長年の付き合いがある父の主治医は、このころの父の症状を『てんかんからくる記憶障害』としていた。 とはいえ、足元がやや不自由なことや、あまりにも短期的な記憶が抜け落ちること、これは認知症なのではないか? というのは家族がずっと抱いていた疑いだった。父自身は、自分の記憶の弱さや体の不自由さを頑なに認めず、なんでも一人でできるというような態

60歳でアメリカ一人暮らし -『時をかける父と、母と』 vol.4

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.4 60歳でアメリカ一人暮らしそして60歳になった父に、なんとアメリカはフロリダ州で、会社の支所長をやらないかという話が舞い込んできた。 テレビを買ったことを忘れてまた買ってきているような父だ。記憶が危うくなってきているし、そもそも基本的に家事は専業主婦の母任せだった父が一人で生活ができるわけがない! という家族の心配を押し切って、なんと父はアメリカへ、初めての単

やっぱり認知症でした -『時をかける父と、母と』 vol.6

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.6 やっぱり認知症でした2016年の夏に再度転院。てんかんの治療薬も変更した。 この頃の父はまだ多少アクティブだった。歯が痛いと、自分で歯医者を見つけてきて通った。ただ、ある日は歯が痛い痛いといいながら歯医者に出かけたのに、忘れて喫茶店でお茶を飲んで帰ってきたという。これは不思議でしょうがない……。歯痛さん、あなたはどこへ行ったのですか……。それはそれでいいか…

ここはどこ、私はだれ? -『時をかける父と、母と』 vol.7

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.7 ここはどこ、私はだれ? よく漫画に出てくるセリフ、「ここはどこ、私はだれ?」 父にとっては毎日がそういう状態になりつつあった。 認知症と診断された年の夏、両親と娘の3人で東北へ家族旅行に出かけた。温泉などでさすがに男湯に同行することは出来ないので、慣れない場所で離れて行動するのには不安があったが、とりあえず迷子にはならなかった。とはいえ父は、『自分が旅行中で