noteバナー_時をかける_-08

ここはどこ、私はだれ? -『時をかける父と、母と』 vol.7

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

vol.7 ここはどこ、私はだれ? 

よく漫画に出てくるセリフ、「ここはどこ、私はだれ?」
父にとっては毎日がそういう状態になりつつあった。

認知症と診断された年の夏、両親と娘の3人で東北へ家族旅行に出かけた。温泉などでさすがに男湯に同行することは出来ないので、慣れない場所で離れて行動するのには不安があったが、とりあえず迷子にはならなかった。とはいえ父は、『自分が旅行中である』こともわからなくなるので、居場所や日時などを何度も聞かれる。自分では自分の居場所が把握できないのですぐに不安になるのだろう。

大浴場の男湯を出て父は、自分の脱衣かごがわからなくなってしまったようで、他人の浴衣・下着で出てきてしまった。ホテルの浴衣を着ている父に違和感を感じるわけもないが、数時間後に羽織の袖元に父が吸わないはずのタバコが入っていたのに気付いた頃には、もうおパンツを脱衣所にそっとお返しすることもできず……脱衣所でさぞかし困ったことでしょう……あのときのお方、ごめんなさい。

旅行はもうずいぶん前から、父と母二人では到底成り立たなくなっていた。迷子や行き倒れになる心配を常に抱えた母が右往左往して、結局ヘロヘロになってしまうからだ。
父はお出かけするのが好きだった。自力の外出は年々腰が重くなっていたが、極力外へ連れ出そうと、母は懸命に誘い出し、週に何回か外出はしていた。

ただ、どれだけいろいろなところに行って楽しそうにしていても、帰るとその日のことは自分が外出したことすらきれいさっぱり忘れている。しょうがないしそのとき楽しければいいか、とは思いながらも、やるせない思いはどうしようもない。母は懸命にやってくれていたのだが、一人で抱えるには途方もない労力だったと思う。

同居していなかった私は、たまに実家に帰ると、まだ客観的に、新鮮に父の様子を見ることができた。時間があるとなるべく一緒に外出する機会をつくるようにし、一緒に映画を見に行ったりもした。実家の最寄り駅で待ち合わせをして、駅までは母が見送って父をバトンタッチする。そういうやりとりだった。電車に乗るといつも決まって父は、学生時代の通学路の話をしはじめる。2週間ぶりだろうが2日ぶりだろうが、「ふたりで一緒にこの電車乗るなんてはじめてじゃないのか」などとつぶやく。

とはいえ秋先、映画を見に行こうという約束に、スキーに出かけるようなダウンジャケットを着てきたときは驚いた。気候やシーンに適当なものを選ぶという行為って、なかなか高度なことだったのだなということに気づいた。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


『スキ』をしていただくとあなたにおすすめのチェコをランダムにお知らせします。 サポートいただいたお金は、チェコ共和国ではんこの旅をするための貯金にあてさせていただきます。