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認知症の父から見える世界

私の父は若年性認知症だ。そして私は現在35歳。要介護3となった父は有料老人ホームで暮らしている。

「さくやがきてくれて、この生活に光が見えた」

有料老人ホームに入所したばかりの父が、訪れるたびに私に言った言葉だ。新しい暮らしが嫌だという文句を言わないかわりに、父は何度かこう言った。それを聞くたびに私は、ほんのり心が暖かくなりつつも胸が痛んだ。

そしてその言葉の意味を考え、父から見える世界と私の役割を想像してみた。それはこんなイメージだ。

父の引き出し2

「光」の意味をしばらく考えて、徐々にわかってきたことがある。

光、は比喩として、希望の光、とか前向きな輝かしい存在として捉えることはできる。そういう意味の光ではあるのかもしれない。
だけど私は、本当に父にとって物理的な意味での「懐中電灯」でもあるのだな、と思えてきた。

父の視界からは見えづらい無数の引き出し。消滅したわけではなくて、確かにあるのだけれど、もうずいぶんぼやけて見えづらくなってしまったもの。それを照らして、引き出しから探し出してきてもらう。探し出せば出すほど父の進行が食い止められるか、ということはわからない。だけど少なくとも、引き出しの中の大切なものが、どんどん奥底に仕舞われていかないように、たまには取り出してもらわなきゃ。いったん取り出して見せてもらったところで、もしかしたら引き出しの中はベルトコンベアみたいになっていて、戻した途端にドルルルッと吸い込まれていくのかもしれないけど。そしたらまた持ってきてもらわなくちゃ。

アップデートはされなくても、それでもいいのだ。引き出してさえくれれば。離れて暮らすようになっていっそう、私が父にできることといえば、こういうことなのかな、と思えるようになった。

そしてcakes最新回更新。ちょうどこの頃の想いを書きました。


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