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寂しさを無視しない、私なりの忌引き

 いまから一ヶ月前、父を亡くした。

 父の認知症の診断が下りたのは7年前。母を見送ったのは5年前。半年の在宅介護期間を経て、父は有料老人ホームに入所。そしてコロナ禍に見舞われて以降私は岩手に移住し、遠距離介護の生活が3年間続いた。年々弱っていく父を見て、ある日突然やってくるであろう別れの日に、気持ちを備えてはいた。備えてはいても、寂しさはどうしたって、そこにある。

 今の勤務先では、忌引休暇が7日間もらえた。元の休日もあわせて約10日ほど休ませてもらって、お葬式や片付けやできる手続きを終えて岩手に帰ってきた。出勤しはじめて、ぼちぼち仕事は再開した。決まった時間に起きて出勤して、動かせたのは今の自分にとって「苦じゃない」仕事たち。それは事務作業的なものだったり、今までにやったことのあることや、誰かと動かすプロジェクトだったり。だけどしばらく、誰かに公表するようなもの、たとえば絵を描くこととか文章を書くとか、心と頭を使って自分から生み出す作業については、積極的に、一切やらないことにした。

 日々を過ごしているとふと忘れそうになるけれど、私の心にはね、「父を亡くしてとっても寂しい」気持ちがある。日常が進んで、誰からも見えなくても、私だけは、私の寂しさを絶対に無視しないであげよう。それだけは決めていた。向き合いすぎると悲しいけど、その寂しさは私が全力で甘やかしてやる。じゃないと心が死んで、困るのは私の体なのだ。

 だからしばらくは、心と体にやさしいことしかしないと決めた。具体的には、好きな映画やドラマやお笑い番組を垂れ流すように見たり何時間もマンガを読んだり。友達とごはんに行ったり出かけたり、長電話したり。疲れるXはアンインストールして手放した。好きなごはんを作って食べたり、好きな色の服や化粧品を買ったり。あとは歯医者に行くとか眉毛を整えるとか、いつかしようと思っていたセルフメンテナンスは積極的にした。二ヶ月前から酒粕スムージーを飲む生活は継続している。

 自分発信で生み出す何かに手をつけるのがしばらく怖くなっていた。でも5日前くらいから少しずつ、何かを作りたくてうずうずし始めている自分がいる気がした。それでも2日間くらいは「まあまあ」と言いながら早めに布団にもぐりこみ、3日目から辛抱できなくなって絵と文章を描き始めた。結局描いて公開までできたのは、酒粕スムージーの話。

 同時に、この先の楽しみな予定がどんどん決まってきた、というか決められそうな心境になってきた。「判断」ってエネルギーを使うから、しないようにしていた。急に動いたらギックリしちゃうよと、心に爆弾を抱えてそろりそろりと歩いていた数週間から、ちょっとシャッキリしてきた感じ。強制力ではなく前向きな風を背中に感じて、進める気がして、少しずつ答えを出すようにしてきた。

 7歳のときに「死」という概念を知って、家族が死ぬかもしれないと思ったら猛烈に不安で不安で、眠れなくなった。32歳、母が死ぬ日が近いかもしれないと知った頃も、悲しくて怖くて絶望して、眠れない日もあった。母がいなくなった後も、父がいなくなったらどうしようという不安は胸に抱きながらここ数年を過ごしていた。38歳、父が逝って、私の両親はもうこの世にいない。

 だけどどうやら、私はこれからの人生を歩めそうだ。道筋はまだわからないけれど、視界は良好。とりあえず健康だけは大事にすれば、どうにかなる。だって、どうにかしてきたんだもん。

 悲しみも寂しさも、乗り越えなくていい。だけど無視しちゃ絶対ダメだ。だって、そこにあるものだから。だけどね、積極的にその感情を甘やかしたら、ちょっとずつ大丈夫な時間が増えてくる。どうやら、そういうものみたいだよ。


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