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乗り越えようとしなくてもいい

目の前が真っ暗になるくらい、ショックを受けて、
この先に何も見えないくらい、悲しみに満ちてしまっているとき。

そういうときは、とにかくあらゆる情報が目にも心にも毒だと思うから、とにかく目を背けるに限ると思う。

ここ数日、ずっと頭に浮かんでいる言葉がある。

それは、「乗り越えようとしなくてもいい」ということ。

美談にするのに「乗り越える」ってよく使われる言葉なのだけれど、私はその言葉が嫌いだ。だって乗り越えられるものじゃないから。でも渦中にいると、早く「解決」したくなったり、「いつまで悲しんでいるのだろう。乗り越えなきゃ」って思う瞬間もあるかもしれない。その気持ちをパワーにできる人もいれば、できないひともいると思う。

1年半前に母を亡くしたときは、本当に辛かった。その当時を思えば、今の自分は比べ物にならないくらい元気だ。それは間違いない。母のことを考えない時間だって確実に増えている。だけどいつだって、何かをきっかけにして引き戻されたり、考えれば考えるほどつらくなるときはある。だから私は、乗り越えてないよって、いつも心で思っている。だって乗り越えられないから。

つらいけど、休んだらもう立ち上がれないからって、無理やり社会生活を送っている人もいるのだろう。本当は休んでほしいけれど、そうもいかない場合も多いだろうし。でも、その社会生活を優先しすぎて、「早く乗り越えなきゃ」って思わないで欲しい。たとえ会社に行けていたって、学校に行けていたって、それは「もう悲しくない」わけじゃない。泣かずにいられたり、笑っていたとしても、悲しいときは悲しいから。

どれくらいの時が経っても、いつまで悲しんでいるんだ、なんて、誰にもいう権利がない。忘れなくていいし、心置きなく悲しんでいいと思う。悲しむのは自分の自由だから。

ゆっくり休んでられない人も、休める人も、
心が受け入れるものだけを見て、聞く。食べる。眠れるときに、眠る。
それでいいと思うんです。

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