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岩手県に移住して、兼業フリーランスになりますという話

こんにちは。絵はんこ作家のあまのさくやです。
東京在住35歳、イラスト業やエッセイ執筆など、範囲広めなフリーランスとして働いている、のですが。

この度、岩手県・紫波町(しわちょう)というところに移住することに決めました。

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紫波町は、人口3万人ほどの盛岡市のベッドタウン。盛岡と花巻の間くらいに位置し、盛岡駅までは電車で20分ほどで行ける。

私は、親の仕事の都合での海外転勤や留学を除いては、東京以外に住んだことがない。ちなみに岩手に親戚がいるわけでもなく、結婚するわけでもない。実家は東京にある。そんな状況で、決めた引っ越しです。

Q. えっ、岩手で何するの?

  A.「地域おこし協力隊」という制度を使って、紫波町の役場に所属し、平日は4日間勤めます。その上で、今まで通りのはんこやイラストの制作・エッセイを書く仕事も個人で行う。いわば「兼業フリーランス」とでもいいましょうか。

役場に勤めるといってももちろん窓口業務をするわけではなく…。
紫波町の地域おこし協力隊は「企画提案型」のフリースタイル。
私ができることってなんだろう…と思案した結果、提案したのは、

紫波町で暮らしつつ、町の中で起きていること、人同士の関わり、郷土文化など、そこに息づく物語を中に入って見させてもらうような取材をする。
それを言語化したり、時にはイラストやはんこで表現して発表すること。


フィールドワークをしつつ、ルポライターをするような、そんな仕事ができたらと提案しました。
今までの自分の仕事をミックスしたような仕事になりそうかなと思っています。

で、なぜに、岩手県紫波町? という理由と、移住を決めるまでの気持ちの道のりを少し書きます。

紫波町への移住を決めた物理的な理由

昨今、「移住」は珍しいものではない。私も例に漏れずコロナ禍が背中を押す形とはなったものの、何年も前から漠然とした移住願望は持っていた。積極的に探すでもなかったが、偶然が偶然を呼び、紫波町に呼ばれる結果となった。決まる時って、本当にあっという間に決まるのね。

付き合いの長い友人がいた

新卒時代に一緒に働いていた会社の同期の仲間が移住しており、紫波町を知ったのも彼女がいたからだ。そこにいるだけでぱっと周囲を明るくするような彼女の存在は大きく、その繋がりのおかげで、たった1泊2日の旅でもその地域の人たちとたくさん触れ合うことができて、ああ、この人たちがいるならここで暮らせるかもしれないな、という実感を持つことができた。

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冬に車なしでも生きられるところ

しかしいかんせん、岩手に馴染みがない。東北という寒冷地で暮らせるのだろうか、そしてペーパードライバーを克服できるだろうか…といった物理的な不安もあった。車は早々に練習しはじめるとして、冬の路面凍結もあって運転が難しかったら通勤もままならないのでは…。最悪車なしでも死なないところに住みたい…。そんな軟弱な東京育ちの需要を叶えてくれていたのが、紫波中央駅の前にある「オガール」だった。

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駅前にドーンと広がる複合施設には、役場や図書館、コンビニや産直スーパー、美味しいパン屋さんやアウトドアグッズ店、宿、お医者さんなどが集合している。
中でも、「紫波町図書館」という素晴らしい図書館には心を鷲掴みにされた。

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オガールの近くに住めば職場も図書館も徒歩圏内…。「ここなら住めるかも」感がさらに増した。
まちづくりに携わる人にとっては全国的に有名な「オガールプロジェクト」と聞けばピンと来る人もいるだろうか。

「民芸」の先生にまたお会いしたい

以前、型染め作家の小田中耕一さんの工房にお邪魔したことはこちらのnoteにも書きました。

紫波町に型染め作家さんがいらっしゃると聞いたときは驚いた。しかもそれが人間国宝・芹沢銈介さんのお弟子さんであった小田中耕一さん、ときた…!!工房でお話させていただき、ユーモラスかつ謙虚な姿勢のお人柄に触れられた感激は未だ忘れられず、またこちらにお邪魔したいな…と強く思ってしまったのも、大きな理由のひとつ。東北、なおかつ盛岡にほど近いこの紫波町なら、私の憧れる民芸の世界にぐっと近づけるような気もして、胸が熱くなった。

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移住を決めた理由 : フリーランスとしての悩み

私は2017年からフリーランスとして働きはじめ、クリエイターと呼ばれつつ、はんこ作家をはじめ多岐にわたる種類のお仕事を受けてきた。そしてここ数年は、こんな悩みと戦い続けていた。

①収入が不安定
②生活リズムを自分で作るのが難しい(誘惑に勝つ)
③家仕事が続くと人との会話が減る

自分次第、なんだけどさ

いろんな業態により例外はあれど、まあフリーランスあるあるであろう。リモートワーク全般にも言えるが、フリーランスにはとりわけ「自分次第」がのしかかってくる。だって引き受けるも受けないも自分次第、仕事がなければ自分を売り出すのも、値段をつけるのも、仕事の高評価も低評価も、続けるもやめるも自分次第。だらしなく一日がつぶれてしまって、自己嫌悪に陥ったり、なんだか自分に価値がないような気がしてしまう日も、恥ずかしながら多々あった。自責傾向の強い自分の性格上、仕事がないのは自分がダメな結果なんじゃないかと思えてしまう。

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そんなときに思い出すのは、フリーランスになる前、はんこ作家をしながら、福祉施設の非常勤職員として勤めていた頃のこと。仕事内容も興味深く、いろんな人と出会うことが出来て面白い仕事だった。週に3〜4日勤務、副業OKだから、帰ってからはんこの仕事をする。1日まるまる空いてる日よりも、帰ってからの数時間のほうがはかどることって、ありません? 私はありました。もしかしてこういう働き方の方が私は向いているんじゃないかと、うすうす感づいてはいた。

自分の仕事はコントロールして、クリエイターなら腹くくって突き進め。そうやってたくましく、泥臭くもたくましく突き進む、尊敬すべきフリーランスや、クリエイターは周囲にたくさんいる。

だけど自分を鑑みれば、どうだろう。楽しく充実している仕事もたっくさんあるし、喜んでもらえると本当に嬉しい。だけど先の不安を持ちながら、「自分次第」という言葉にうっすら首を絞められ続け、気持ちが浮上しない感覚があった。それによって余裕を失い、何かを作ること自体が苦になること、それが一番怖かった。

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目の前の人が喜んでくれる仕事がしたい

「目の前の人が喜んでくれる」仕事。就活生のような台詞だけど、結構自分にとっては大事らしい。福祉施設の仕事はそれが顕著だ。
ここ数年、在宅ワークでできる業務ばかりしていた私は、コロナ禍でさらに人と会う機会が減った。イベントも減ったことでお客さんと触れ合う機会も減る。融通がきく働き方を自分が選んでいたくせに、浮世離れしてしまうような怖さと、誰かが喜んでくれているという実感が少しずつ薄らぐ瞬間があった。

振り返ればわたしのフリー的人生は、お客さんの要望を聞いてその場ではんこを彫る、そんなオーダーはんこ作家からスタートしている。
誰かとの関わりで生まれた作品で周囲が喜んでもらいたい。特に有事のときに感じることなのかもしれないが、「誰かの役に立っている」という根っこの感覚が案外重要で、今の自分の働き方では、いつしかそれを感じにくくなっていた。

以前の福祉施設の仕事は、あくまで施設の仕事をサポート役として動く形で、それはそれで楽しかったのだけれど。今回の関わり方は、直接自分の本職として関わり役立てられそうなのが嬉しい。

そして2020年12月に仕事で訪れた紫波町。そこでいただいた「一緒に働かない?」というお誘い。そして注がれる美味しすぎる酒(笑)。

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週4日紫波町の仕事をして、それ以外の時間に個人の仕事をする…かぁ…。
ちょっと想像してみると、それって…

定期収入、生活リズム、人との関わり…
「今の私の悩みを一気に解決してくれるんじゃね?」

ポクポクポク、チーン。

完全フリーランスを3年強やってみて、また定期仕事につくことは、自分自身が浮上しきれなかった結果の「逃げ」になる気も少ししていた。だけど今までの私のクネクネしたキャリアを活かせそうなこの働き方は、私にとって、とても前向きな選択に見えた。

決めてからは、色々と動きが早かった。
そして何より、すごくワクワクした。閉塞感を感じていた1年間にはなかった、これからへの楽しみな気持ちが心を占めた。

地域おこし協力隊には、最長3年と言う期限がある。私がこの先、紫波町に腰を据えるかどうか、また完全フリーランスになるのか、正直まだわからない。でも考えてみてもしょうがないし、やってみるしかない。だけどこの期間を経た後も、紫波町なり全国どこに行っても、目の前の人を喜ばせられるような仕事ができたらいいな。

だから今は、自分が心地良さそうな方を選んで、自分のクリエイターとしての寿命を伸ばしたい。

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最後に

なかなか個別にご連絡しきれず、唐突に驚かせてしまったかたも多々いらっしゃるかと思います。この場でのお知らせとなった方には、申し訳ありません。
東京を離れることで、今まで通りできないことはいくつかあるかもしれません。ただ幸運なことに東京の拠点は引き続きあるので、ちょこちょこ東京には戻る予定です。
何かご相談事があればお声がけください。
もう少し心置きなく移動ができる季節になったら、岩手なり東京なりでお会いしましょう。

引っ越しは3月頭。またお知らせしていきます。

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2021年2月12日 あまのさくや

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あまのさくや / はんことことば
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