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「書く」「伝える」はセラピーにもなる-ZINEづくり部通信

先日、紫波総合高校で講演をさせていただく機会があった。学年違いや専攻違いで、なんやかんやでここ二年で3回ほど講演させていただいている。高校生と一対一でゆっくり話しているわけではないのだけれど、返ってくるアンケートを読むにつけ、結構伝わっているのだなぁとしみじみ感動する。

フリーランスとして今まで仕事をしてきて、さらに紫波町で広報や情報発信分野に携わったことで、あらためて自分の仕事を分解して考えてみる機会が増えた。今回の講演では「伝える」を考える、というテーマで話したのだけれど、資料は作ったもののそれをもとに話しながら、そうか私はこういうことが言いたかったのしれないということが浮かび上がってきた。

今私は、紫波町の地域おこし協力隊として、「地域情報編集発信担当」という役割を担っている。情報発信というと、なんとなくグルメ情報だったり町内ニュースだったり、即時性や細かさが求められる印象もあるけれど、私ははっきり言ってその分野がそう得意ではない。速くてこまめな更新よりも、ゆっくりどかっと、息の長い発信がしたい。町で暮らしてみて、「この感じがいいよなぁ」と思うことを可視化して、町にいる人にも、遠くにいる人にも伝えられること。紫波町を、価値のある絵画のように眺められるようにする。時に、近くにいる人は身近なものの価値に気づきにくかったりするもので、「え、そんなにいいものなの?」と、誇りを持ってくれたらいいな。そんなことを思っている。

「絵画のように眺められるようにする」という表現は自分でよく使っていたのだけれど、昨日話しながら気がついた。ZINEづくり部で「まずは、カタチにしてみよう」と呼びかけている自分の行動は、まさにそれなのだよなということを。

「地域情報編集発信担当」なのだから、発信者を増やしたいのでしょう? 地域の魅力を伝える広報誌をみんなが作るようになればいいんでしょう? という発想を抱く人も中にはいるかもしれない。だけど正直に言ってしまうと、私の興味の中心はそこではない。もちろんグルメやスポット紹介が好きだったり、タウンライター的なことをしたい人がいればそれは応援したい。だけど私は、あくまでその人自身が、自分が何を好きかをカタチにして、自分でそれをニヤニヤと眺められるような絵画を作ってもらいたいのだ。
だって、単純にそれって、気持ちいいでしょう。

私は発信者を増やしたいと言うよりは、書く人、描く人、作る人を増やしたい。自分が作ったぞというものを眺めるのって楽しいものだよ、そんなことを伝えられたら、万々歳なのだな。

イベントで「ZINEづくり部」ブースを守ってくれたサメ店長(小4)

サメ店長は親子でそれぞれ素晴らしいZINEを作っていて、イベントや場所に出掛けてはいろんな人に自分たちのZINEを見せているそうだ。イラストレーターさんにZINEをプレゼントしたら、お返しにと作品集をいただいてしまって感激したという。「有名なイラストレーターさんだし、すごく価値があるものなのに。作品を交換するって、すごいことだと思いました」とお母さんが言っていた。

書くことはセラピーとして良い

先日、Podcast番組「OVER THE SUN」でジェーン・スーさんと堀井美香さんが、「書く」ことで「見える」こと、という話をしていた。ふだん文章を書くことをしていなかった堀井さんが、エッセイ本を執筆するにあたり書いてみた気づきについて二人で話している。スーさんはかねてより、「書く人を増やしたい」、書くことはセラピーとして良い、ということを話していたようで。

「脳外上場。私は、外にまず出せってよく言ってるけど。嫌な思いも楽しい思いもまず自分の中から外に排出することで見えてくるものってあるんだ。イヤな思いも、書くことで切り離すことができる」

(中略)

「いいとか悪いとかじゃなくて、あまり自分自身を出すって言うことは上品なことじゃないよという環境でいた人も、ちゃんと向き合って、ドロドロしたものも清らかなものもどちらにも優劣をつけずにちゃんと自分の前に並べる。それを上手くなくてもいいけど、正直にまとめるということをすることで整理されていく自分自身がたくさんあるから。」

OVER THE SUN 2023.01.27 「書く」ことで「見える」こと(ジェーン・スー)

私が書いた『32歳。いきなり介護がやってきた。』というエッセイはまさにそれだった。若くして両親の介護を経験されたスーさんも、気づけば片目だけから涙がダーダー流れてくるような辛い時期があり、そのとき、カウンセリングを通じて自分を出すという経験をしたという。「知らない人に伝えると整理するし、見えてくるんだよね、自分がちょっとすっ飛ばしたり、悪くないように言おうとするのも、気づいちゃうじゃん」。

介護をしていると、ケアマネージャーさんや福祉施設の方々など、とにかくいろいろな人に状況を伝える必要性が生じる。そのためには前後関係や背景も含めて伝えなければ、私たち家族の中身や、父の状況は伝わらない。この経験は、私の伝える力をかなり強化したのかもしれない。父を嫌いになりたくない、という想いで書いた日記は、結果として状況整理にも役に立ち、自分からイヤな想いを切り離せた。

私は、携帯のメモやらevernoteやら手書きやら、いろんな日記を書いている。だけどそれを全部公開にしないのは、取捨選択をしたいからだ。その意図は隠していても出てしまうし、「こう言うふうに思われたいんだな」という性質はどうやったって読者には漏れ伝わってしまう。それはそれでしょうがないし、書き手である以上はそれを受け止めなければならない。

「書く」というのは、PCなり鉛筆とノートなりがあれば誰でもできてしまうことだし、みんなにやってほしいなと思うことではあるけれど、そのアウトプットの形は必ずしも「書く」ではないなと思っている。
人によって、写真だったりイラストだったり、たとえばボクシングだったり。(映画「ケイコ、目を澄ませて」をみた影響が出ている)
その人にとって心地よい、自然なアウトプットをするしかないのだと思う。

ZINEづくり部の目指すところは、「売れるZINEを作りたい」「自分の作品を発表したい」「みんなに読んでもらいたい」、そんな気持ちも応援したい。
だけど同時に、「誰に見せなくてもいい、自分だけが見られればいい」という気持ちも大事にしたい。

自分のために作ってほしい。一番願っているのは、そんなことかもしれない。

四年前に描いた漫画「タモ認知」
三年前に描いた漫画「セルフ幽体離脱」。私はずっと、こういうことをしている。


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